2人の関係

 宇喜田さんは昭和4年生まれで、江東区で米穀店を営んでいた。仕事柄、町内会の役員なども引き受け、地域の顔役のような立場で長年生活してきた。昭和52年、その町内会の事務員として採用になったのが花代だった。花代は当時40歳くらいで、夫も子供もいる身であったが、昭和54年か55年ごろ、宇喜田さんに誘われ仕事終わりに飲みに行くなどし始め、宇喜田さんと親密な関係へと発展する。

写真はイメージ ©getty

 宇喜田さんにも当然妻がいたが、どうやら宇喜田さんはいろいろと女性と関係を持っていたようで、花代以外にも親しい女性がいる気配があったという。昭和62年に宇喜田さんが町内会の会長になって以降も花代との不倫関係は続いていたが、平成3年ごろ、宇喜田さんがどうやらほかに特定の不倫相手がいる、と花代は勘づいた。宇喜田さんはそれを否定はしたものの、きっぱりとした態度ではなかったことから、花代の嫉妬心はその後もずっとくすぶり続けていたようだ。

 ところで花代は、自身にも家庭があるにもかかわらず、宇喜田さんに対して相当な入れ込みようだった。

ADVERTISEMENT

 宇喜田さんから少しでも冷たくされると、酔った勢いで自宅に電話をかけ、妻に対して暴言を吐くにとどまらず、自宅へ押しかけて暴れるといったこともあった。あるときは、玄関先にあった米袋を担ぎ上げ、それを妻に投げつけるという暴挙にも出た。当然、自分以外の不倫相手の女性に対しても、嫌がらせの電話をかけたりして自分の存在を誇示し続けていたという。

 あまりにも身の程をわきまえないふるまいに、宇喜田さんの妻やもうひとりの不倫相手の女性は花代の自宅に電話をし、花代の夫に苦情を申し入れる事態となった。この時点で夫は花代の不倫を知らなかったようで、苦情の電話から花代の浮気を疑うようになる。夫に問い詰められた花代は、「宇喜田さんに無理やり関係を迫られ、一度だけ応じた」というような話をしたという。もちろんこれは嘘である。

 その事実を知った夫を交え、平成7年の春、花代夫婦と宇喜田さんで話し合いがもたれた。ただこのとき、話し合いは有耶無耶な状態で終わってしまったという。夫の知るところとなった花代と宇喜田さんの不倫だったが、関係は終わらなかった。

 そして、さらに町内会を巻き込むある事件を起こしてしまう。

ライトに照らされた下半身

 夫を交えた話し合いからわずか1か月後の4月のある早朝、町内にある公民館に警察が駆け付けた。不審者が公民館に入り込んでいる、そういった通報が近隣住民から寄せられたためだったが、そこで警察官らが見たのはとんでもない「モノ」だった。

 公民館の中には、男女の姿があった。それは、宇喜田さんと花代だった。さらに警察官が踏み込んだとき、宇喜田さんは下半身を露出していたのだ。

次の記事に続く 「おっぱい触らせろ!」不倫相手の無礼な言葉にブチギレ…59歳女性が「7歳年上の愛人男性」を殺害した理由(平成8年)

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。