たった一人で京都へ…見習い期間に辛かったこと

――その後、15歳で京都の置屋に入り、「仕込みさん」として見習い期間を過ごすことになります。仕込みさんとして過ごす日常は、漫画を拝読しているだけでも相当厳しいものに思えます。

松原 修行そのものが辛いのは想像していたことなので我慢できましたが、家族と会えなくなることが何より辛かったです。携帯電話の所持も禁止されている中で、手紙でのやり取りしかできませんでした。普段はお稽古と置屋のお手伝いに忙殺されてそれどころではないのですが、お休みの日や夜お布団に入った時にふと思い出してしまって「会いたいなぁ」と泣いてしまうことがありました。

15歳で親元を離れ、携帯電話でのやりとりもできない家族を想い、ホームシックになる「仕込みさん」も多いという 『舞妓をやめたそのあとで』より

 あとは言葉の矯正ですね。日常生活の中で花街言葉を覚えていくのですが、初めの頃は何を喋っても「舞妓ちゃんはそないな言葉使わはらしまへん!」と叱られて、喋ることが怖くなってしまうことはありました。

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――15歳の少女が一人きりで……というだけでも大変なのに、いろいろ覚えることも多いんですね。「仕込みさん」の期間中に辞めてしまう子も多いと聞きました。

松原 辞める子には様々な理由がありましたが、多かったのは「ホームシックに耐えられない」ことと「思っていた感じと違った」ということでした。

 一見華やかでチヤホヤされているだけに見える舞妓さんですが、一度修行に入れば礼儀作法と伝統芸能を厳しく仕込まれます。そういったギャップに耐えられず辞めていった子はたくさんいました。私の代は仕込みさんの間におよそ半分の子が辞めていきました。

一見華やかな世界に見えるが、舞妓になるためのハードルは高く厳しい… 『舞妓をやめたそのあとで』より

――半分も! それを乗り越えて「舞妓さん」になった後の生活も、ファーストフード店やコンビニになかなか入れなかったり、日本髪をずっと結いっぱなしにしなければいけなかったりと、大変そうで驚きました。

松原 舞妓さんとしてデビューしたら、あとは日曜日を除くほぼ毎日、お昼はお稽古、夜はお座敷の繰り返しです。芸を売る商売なので、芸事に関しては厳しい世界だと思います。また、舞妓さんとはイメージ業なので、一人一人がプライドを持って舞妓さんらしい振る舞いをするように徹していました。

 自由は少なく普通の女の子と比べてできないことも多くありましたが、それ以上に「自分は今舞妓なんだ!」という事実がお稽古や仕事を頑張る原動力となっていました。

 挙げていただいたルール以外で言うと、「人に何かしてもらったらお礼は3度言う」と教えられました。(1)何かしてもらった時、(2)次の日(その人の家や置屋にお礼のご挨拶に行く)、(3)後日どこかで会った時です。これは社会人になった今でも役に立っています。

――なるほど。ちなみに、日々のお稽古やお座敷で仕事をしている時以外の舞妓さんの余暇時間はどのくらいあるのでしょうか。