「舞妓さんになりたい!」
中学卒業後、15歳で親元を離れて京都の花街に飛び込んだ松原彩さん(26)。舞妓から芸妓になるも、22歳で引退。その後は学び直しのため、東京の定時制高校に入学したという。
ここでは、6月2日に上梓したコミックエッセイ『舞妓をやめたそのあとで』(KADOKAWA)の作者でもある松原さんに、「舞妓さん」としての体験や定時制高校での学生生活について詳しく伺った。松原さんが見た“嫌なお客さん”“良いお客さん”の姿とは……。(全2回の2回目/最初から読む)
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「容姿を悪く言われた時はとても傷つきました」
――舞妓さんのお仕事は、通常の接客業以上に嫌なお客さんに当たってしまう可能性やリスクが高そうに感じます。漫画にも、容姿や舞の技術について嫌なことを言ってくるお客さんが出てきますよね。
松原彩さん(以下、松原) 容姿のことを言ってくるお客様は結構いらっしゃいます。初めて容姿のことを悪く言われた時はとても傷つきましたが、尊敬する姉さんに「嫌なお客様がいはったら、その人は家に居場所がないんやろなと想像しよし。家に帰っても構うてくれる人がいはらへんねやと思うたら、優しい気持ちになれるやろ?」とアドバイスをいただきました(笑)。
それからは嫌なお客様にあたったら「今日この人にいかに楽しく飲んで帰ってもらうか」を自分なりに試行錯誤していましたね。
――逆に、お客さんと仲良くなったりもするのでしょうか。
松原 いつも月に1~2回来て、私や同じ置屋の後輩舞妓ちゃんとカラオケを嗜むお客様がいらっしゃいました。近くの小料理屋さんからたくさんご飯を頼んでくださって、舞妓さんたちに振る舞っていました。「孫の成長を見ているようで幸せだなあ」と仰っていたそのお客様の優しい目がとても印象に残っています。
――当たり前ですが、お客さんにもいろんな人がいるんですね。松原さんがお客さんと接する上で気を付けていたことはありますか。
松原 元来、結構な人見知りなので、接客業そのものがあまり得意ではありませんでした。なので話題を作るために、時事ネタや歴史、お酒や服の知識など片っ端から勉強しました。もう結構忘れちゃいましたけど(笑)。
海外のお客様に会う機会も多かったのですが、国によって舞妓さんの見方や興味の持ち方に違いがあって、とても興味深かったです。
日本の伝統芸能が廃れていってしまっている現代において、「舞妓さん」という形を通してより多くの人に伝統芸能の良さを伝えていくことが舞妓さんの仕事の一番大切にすべき部分なのかなと思います。
また、花街にいた頃は「自由が少ないなあ」と嘆いたりもしました。ですが花街を引退した今、改めて舞妓さん、芸妓さん一人一人が「花街で生きる人間である」というプライドを持って仕事をしているおかげで、あの京都の情緒を作っていけるのだなと感じております。