落ち着かない思春期

 父方の祖父母は厳しい人だった。小さなアパートを持っていた祖父は、その賃料で年に1回、親戚一同で1~2泊の旅行を企画。しかし日々の暮らしは、水道や電気、ガスに至るまで厳しく倹約していた。

「あなたのお母さんはお金にルーズな人だった。計算して暮らせない人。お母さんの借金はほとんどうちが返したんだからね、覚えておいてほしい。あなたも借金だけは絶対にしないでよ、人に迷惑かけるような生き方は絶対にダメ」

 祖母はことあるごとに佐伯さんの母親を貶めた。佐伯さんは、欲しいものを買ってもらえず、着たい服を着せてもらえず、祖父母や父親から“愛されている”という実感がなく、“自分の家”という感覚がいまいち湧かないまま、寂しい幼少期を過ごした。

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©mapoイメージマート

「そのせいか、『早く自分で働いて、好きなものを買いたい! 食べたい! 1人で暮らしたい!』とずっと思っていました。たまたま看護師の叔母がいて、奨学金制度が整っていることや給与が安定していることを聞いたのがきっかけで、看護師を目指すようになりました」

 佐伯さんが中学校に上がった頃、父親が再婚した。

 佐伯さんと父親は祖父母の家を出て、再婚相手とその3歳の息子と4人で暮らし始めた。

 しかしすぐに生活が破綻する。なぜなら継母は、佐伯さんの母親と比較にならないほどお金にルーズな人だったからだ。

「毎日消費者金融の借金取りが家を訪ねてきたり、21時まで返済催促の電話が鳴り続けるなど、落ち着いて暮らせない日々が続きました。継母は私に、『あんたは姪、今は叔母はいないと言いなさい』と指示して自分は隠れ、借金取りへの応対を押し付けられました。この頃、電話が鳴らないように、電話線を抜くことを覚えたほどです。私は継母に『暗い子』などと言って邪険にされ、ほとんど会話はありませんでした」