夫や子どもたちにモラハラをしてしまっていた――。

 家庭という閉鎖的な空間で起きる“加害”は、他者の目が届きにくい分、気づくことも難しい。だからこそ、自身の“加害”に気づけた人の体験は、現在その渦中にいる人々にとって貴重な示唆を与えてくれるかもしれない。

 ここでは、ノンフィクションライターの旦木瑞穂さんが、自身の過去の言動を反省する佐伯美幸さん(仮名、40代)に詳しく話を聞き、彼女の人生を振り返る。

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 第1回では父子家庭で苦労して育った生い立ちと、21歳の時に知り合った5歳年上の夫と結婚するまでを伺った。しかし、その後も佐伯さんに待ち受けていた苦難とは……。(全3回の2回目/続きを読む)

佐伯美幸さん(仮名、40代) 本人提供

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祝福されない結婚

 結婚式には、佐伯さん側の親族は、実の両親と妹しか参列しなかった。

 なぜなら、どちらの祖父母も、「相手は無職で、そのうえ授かり婚だなんて恥ずかしい!」と言い、特に父方の祖父母は、「東京まで行ったのに子どもができるとは何事か! しかも、自分の仕事を投げ出して地元に帰ってくるのはおかしい、なおかつ相手はリストラで無職だと?」と大反対し、「それでも結婚するなら絶縁だ!」と激怒の末、絶縁された。

 一方で、小学校の時に生き別れた母と妹との親交は、ある時をきっかけに続いていたという。

「私が15歳のとき、継母とうまくいっていなかった時期に『もう生きていたくない』と思い詰めて、『妹と母に会いたい!』と強く思い、手紙を書いたことがきっかけで、9年ぶりに母と妹と再会することができました。それ以降、毎週のように会ったり電話をしたり、手紙のやり取りをしたりしていました。私の結婚式では父と母、父と妹は18年ぶりの再会です。でも、妹は祝福してくれましたが、両親は2人ともいい顔はしていませんでした」

 佐伯さんは出産直前まで東京で看護師として働き、産休中に東北へ帰ってきて出産。夫は佐伯さんの妊娠が発覚した後にリストラに遭い、無職に。幸い夫の実家は小さな工場を経営していたため、夫はそこで働くことに。

 そのため佐伯さんは出産後、勤めていた東京の病院を退職。第1子の育児をしながら東北で就職活動と保育園探しを行い、出産から11ヶ月で看護師の仕事に復帰。

 その3年後、第2子を妊娠し、翌年出産。しばらくして、「4歳の息子と生まれたばかりの娘を育てながら、夜勤のある看護師の仕事を続けるのは難しいのではないか」と悩んだ佐伯さんは、退職を決意し、専業主婦になった。