佐伯さんは家にいたくない気持ちから、高校に上がるとアルバイトを始め、22時まで働いた。

 浪費癖のある継母に手を焼いた父親は、佐伯さんが高校1年の夏に再び離婚。その後は父親がアパートを借り、父娘2人暮らしとなった。

 看護師を目指していた佐伯さんは、「地元の看護学校へ入学すればいい」と思っていた。だが、高校の教師に「これからは看護も大学の時代。様々な人と接する看護の仕事ならなおさら、広い一般教養を学ぶべき」と助言され、その時交際していた彼氏の影響もあり、東京の短大に行きたいと思うように。

ADVERTISEMENT

 ところが、倹約第一の祖父母に大反対される。しかし父親が、

「自分の人生だから好きにしなさい。反対して一生恨まれるのは嫌だから」

 と言って許してくれた。ただし、仕送りは月4万。あとは奨学金(2万円)とアルバイトでまかなうという条件だった。

「入学後に分かったことですが、公立の大学だったので、年収の区分けで授業料は無料になることを知り、本当に助かりました。他に教科書代が年間10万ほどかかりましたが、これは祖父が払ってくれました。部屋を借りるお金は、高校生の頃にアルバイトで貯めた120万円でまかなうことができました」

前途多難な出会い

 大学を卒業後、佐伯さんは都内の病院に就職。看護師として働き始めた。

 そして21歳の時、友だちと行ったクラブで男性から声をかけられ、交際に発展。男性は車のエンジニアをしており、佐伯さんより5歳年上。

 やがて佐伯さんが24歳の時に妊娠がわかると、「結婚しよう」ということに。

 ところが男性はリストラに遭い、無職になってしまう。

 東京で出会った2人だが、偶然、2人とも東北の同じ県出身で、生まれ育ったのは隣の市だった。

 そこで2人は故郷に戻って結婚生活を送ることを決断。しかし、苦難の道のりはまだ始まったばかりだった――。

次の記事に続く 「浮気ではなく本気だ」「でも離婚はしない」夫の開き直りに妻は絶句…結婚9年目、夫婦関係に亀裂が入った“本当の理由”とは