駅前広場に出て後ろを振り返れば、駅の象徴だった南北のドームが見あたらない。焼夷弾(しょういだん)の直撃で駅舎の屋根がすべて焼け落ち、いまは天井をトタンで塞ぐ仮補修がされていた。華麗なルネッサンス様式のドームが、貧相なトタン屋根に変貌している。眺めているうちに、躍る心もすっかり萎(な)えてしまう。

駅から歩いて高知新聞東京支局に向かった。その途中で目にした街の眺めにも驚かされる。空襲で破壊されたまま放置されている建物がそこかしこに、コンクリートの瓦礫(がれき)や焼け焦げた木材が転がっている。通りには垢(あか)にまみれた行き場のない人たちや傷痍(しょうい)軍人の姿が目立つ。

「高知のほうが、よっぽどマシだな」

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そう思った。高知市内ではもう瓦礫がすべて撤去され、官庁や会社は建物を再建して街の機能を回復している。行き場のない人たちや戦災孤児を見かけることもない。都市が大きくなればなるほど、復興には時間を要するものだ。

東京支局で「おでん」を食べ中毒に、暢に介抱される

支局に着くと、東京在住の職員がおでんを振る舞ってくれた。近くの闇市から食材を仕入れてきたという。道中の京都で手持ちの食料が尽き、一昼夜なにも食べていなかった。鍋で煮えるタマゴや大根の匂いに食欲が刺激されて一心不乱に食べた。

空腹のあまり食材が傷んで悪くなっていることに気がつかず、翌日には食中毒でみんな瀕死(ひんし)の重症に陥ってしまう。暢だけが無事だった。腹を空かせた男連中にいっぱい食べさせてやろうと、遠慮気味に箸を出したのが幸いした。

彼女は薬を求めて街を走りまわり、献身的に看護してくれた。熱と腹痛にうなされて気弱になっていたやなせは、優しく頼り甲斐のある暢にますます惚れてしまう。回復した頃にはすっかり恋の虜(とりこ)になっていた。

「結婚したい」

と、思うほどに。だが、結婚どころか交際を申し込む勇気もなかった。