終戦から1年、雑誌の取材のため東京へ一緒に出張した

仕事が軌道に乗ってきた夏の頃。東京特集が企画され、編集部全員が上京して取材をすることになった。この時にも暢のハチキンぶりが、面倒見の良さのほうで発揮される。

終戦から1年が過ぎても、交通機関のひどい状況は変わらない。空襲で疲弊した鉄道の補修は進まず、列車が遅延するのは常。車両不足で運行本数が少なく、夜行の長距離列車がラッシュ時の通勤電車なみに混みあっている。通路にでも座ることができればまだマシなほう。連結部で数時間立ち続けている者や、車内に入れずデッキの手すりにしがみついている者もいる。

暢は陸上部で鍛えた韋駄天ぶりを発揮して、素早く車内に乗り込み人数分の居場所を確保する。グスグスしていようものなら、

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「やなせ君、こっち。早く!」

と、しかられる。同級生なだけに、この頃は気安く君づけで呼ばれていた。

やなせは暢のような女性にリードされるほうがありがたかった

どこか頼りなく見えていたのだろうか、強気な彼女によくリードされる。この時代はまだ男尊女卑の考えが根強く、そういった態度を不快に感じる男性は多かっただろう。が、やなせは嫌ではなかった。むしろ、そのほうがありがたい。

これまで女性と接する機会がなく、どうコミュニケーションを取ればよいのか分からない。だから、相手からグイグイ距離を詰めてくれるほうが助かる。また、気が強くて颯爽とした美人というのは、小学生の時に離れ離れになった母親とイメージがかぶる。考えてみれば母もハチキンの部類だった。惚れてしまった理由にはそれもあるのだろう。

東京駅など、空襲で破壊されたままの東京にショックを受ける

高知から四国山脈を越えて高松へ。そこから連絡船で瀬戸内海を渡り、岡山から幾度も列車を乗り換えてやっと東京駅にたどり着く。長く辛い旅だったが、やなせは久しぶりの東京に心を躍らせていた。しかし……ホームの階段を降りると、そこにはまだ戦争の傷跡が生々しく残っている。東京駅も空襲で甚大な被害をうけていた。復旧工事が完了しておらず、壁が崩れ落ち折れ曲がった鉄骨がむき出しになっている。