そして、6月25日にはTOKIOは突如解散を発表。
〈このたびメンバーでお互いの意思を確認し合い、このような状態になった以上、グループ「TOKIO」として活動して皆様から再び信頼をいただき、応援いただくことは難しいと判断したため、ここでグループとしての活動に区切りをつけることといたしました〉
これまで色々あったものの、31年という長きにわたって人気を維持してきたTOKIOを壊す引き鉄となったのは、国分太一となったわけだ。
現場からは「国分さんは怒らせるな、怖いから」との声
国分がジャニーズに入所したのは1988年。13歳の頃だ。
「TOKIOメンバーとして1994年に『LOVE YOU ONLY』で華々しくCDデビューするまではSMAPの前身となるスケートボーイズや平家派に所属していました。クリクリ眼が可愛い中堅ポジションだったけれど、当時から“不良仲間が結構いる”と言われ、事務所からは『付き合う人間には注意して』と忠告されていたと聞いています。
2015年に長く交際していたTBS局員の女性と結婚して女の子がふたり生まれて、ずいぶん丸くなったように思うけれど、現場からは『国分さんは怒らせるな、怖いから。声が低くなったらヤバイから』との声が最近でも聞こえてきていた」(別のテレビ局員)
山口達也氏の事件で音楽活動を休止
グループとして音楽活動にも、バラエティにも順調に見えたTOKIOに激震が走ったのは2018年のことだ。メンバーの山口達也氏が、番組出演者同士だった女子高校生に対する強制わいせつ容疑で書類送検されたのだ。のちに起訴猶予処分となったものの、同年5月に山口氏はTOKIOを脱退しジャニーズ事務所との契約も解除となった。
「音楽活動を休止することになり、大晦日の紅白連続出場も24年で途切れてしまった。
山口氏の件で4人は黒のスーツに黒ネクタイで並び謝罪会見をした。TOKIOの“顔”、ボーカル&ギターの長瀬智也は、『彼(山口)の音がないとTOKIOはカタチにならない。僕らは23年間バンドでやってきましたから、やはり、一つの音がなくなってしまうというのはそういうことなんだと思います』と話して、印象深かった」(芸能デスク)
だが、今度はその長瀬が2020年の夏、翌2021年3月末をもってジャニーズ事務所(当時)を退所し芸能活動からも身を引くことを表明した。

