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カウンセリングと裁判は似ている?

『ファーストラヴ』(島本理生 著) 第159回直木賞候補作
『ファーストラヴ』(島本理生 著) 第159回直木賞候補作

島本 この小説を書いていて気付いたことなんですが、カウンセリングと裁判って少し似ているところがあるんです。

星野 へえ、それは意外。どんなところがですか?

島本 被告人の中には、それまでの人生で、自分の話をきちんと聞いてもらったことすらない人もいるわけで。罪を問われる立場とはいえ、初めてそこできちんと言葉を受け止めてもらって解放されることもあるのかな、と。あとは弁護人が被告人質問するときに、誘導尋問はNGなんです。「あなたは本当は殺すつもりはなかったんですよね?」みたいにイエス・ノーで答えられる質問をしてはいけないことになっています。

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星野 なるほど、自分の言葉で説明してもらうようにするわけですね。法廷のことはわかりませんせが、カウンセリングではクライアントをなるべく導かず自分で話してもらうのがポイントのような気がします。主役は僕ではなく、クライアントですから。

©末永裕樹/文藝春秋

「いいね!」が分断を生んでいるとしたら

島本 最近特に感じることなんですが、どういう枠でもない中庸なコミュニケーションが失われつつあって、それが息苦しい。たとえばツイッターで「いいね!」の機能ってありますよね。あれなんかは一見友好的なコミュニケーションなんですが、「いいね!」をつけることは同時に「いいね!」しないものを選別していることであるとも思うんです。そうやって常に世界を2つに分けることをしたり、されたりし続けるって、じつはとても疲れることじゃないかな、と。

星野 「いいね!」って数字でカウントされるじゃないですか。数字ってすごくわかりやすいから、今回は50だから次は100を目指そう、みたいな中毒性があるんじゃないかと思っていて。もうちょっとわかりにくく、その呟きがいいと思う人が増えたら、サーモグラフィみたいにじんわりタイムラインが赤くなる、みたいなシステムの方がずっといいと思います。だって、物事ってもともと分かりにくいんだから。それを数字で単純化するから変な感じになる。

島本 とくに人にかかわることが単純化されすぎるって、どうなのかな、と思います。小説の中でも悪い登場人物を書くとき、できるだけ一面的に書かないようにと気を付けていました。いかにもわかりやすい「悪」ってそんなにいない。むしろ、自分のすぐ隣にいて普通にコミュニケーションを取れるんだけど、よくよく話してみると「あれ、この人なんか変だぞ」みたいな。無自覚だけどいつの間にか加害者になることもある、という危うさを描きたいと思っていました。

星野 人の考えや人格は複雑ですから、マルバツで分けられるようなものじゃない。島本さんがいまおっしゃったように、人にはいろんな側面があって、それを可能な限り単純化しないように表現しようとしているのがすごくいいねって感じです……。

島本 あ、思いがけず「いいね!」をいただきました(笑)。

星野 なんかすみません(笑)。この小説は、いろんな登場人物に感情移入できると思うんでみなさんに読んでほしいです。


※6月16日大盛堂書店にて

ファーストラヴ

島本 理生(著)

文藝春秋
2018年5月31日 発売

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