6月3日に亡くなった長嶋茂雄(享年89)と、森祇晶氏(88)は栄光のV9をともに成し遂げたメンバーながらも、確執があったと根強く囁かれてきた。そのミスターとの本当の仲を、森氏が初めて明かした。
「長嶋さんは1歳上だけど、僕のほうが先にプロ入りしていたので、“シゲやん”と呼んでいました。(中略)歳が近いからか後楽園球場のロッカーはずっと隣同士」
恩師・川上監督の辞任と自身の引退
引退したのも、ミスターと同じ1974(昭和49)年だった。翌年から川上哲治監督に替わって長嶋が新監督に就任することが内定していた。
「僕の処遇は川上監督から聞いたんです。『来季は現役選手として残るんだったらいいよ』とミスターが言っていると。コーチ就任の要請はなかった」
恩師である川上監督が辞めるのであれば、自分も引退しよう。森氏はそう決意したという。現役生活もちょうど20年で区切りもよかった。
だが、世間は「森は長嶋監督の下でやりたくなかったんだ」と邪推した。森氏は次のように語る。
「そういう意識は全然なかった。コーチ就任の要請を断っていたのなら、そうも言えるだろうけど要請はなかった」
1994年、ふたりは監督として日本シリーズで対決した。さらに、1998年には、長嶋解任後、森氏が巨人軍の監督に就任する計画が進んでいたこともあった。
2人の因縁は深く、そして長いものがあった――。選手として、監督として、“シゲやん”との本当の関係について、森氏は「文藝春秋」8月号(7月10日発売)、および月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載される「長嶋茂雄 33人の証言」で明かしている。
出典元
【文藝春秋 目次】永久保存版 戦後80周年記念大特集 戦後80年の偉大なる変人才人/総力取材 長嶋茂雄33人の証言 原辰徳、森祇晶、青山祐子ほか
2025年8月号
2025年7月9日 発売
1700円(税込)


