翻訳サイトを駆使してメールをした結果

 しかし、初めての海外。しかも知らない外国の家庭へのホームステイ。試験合格を知らされた瞬間、妹子たちの緊張と恐怖は即ピークに達した。

 ただ、学校側も、妹子たちの不安はお見通しだったのだろう。渡航前の数週間は、学校側が決めてくれたホームステイ先とメールでやりとりができるようになっていた。お互いに自己紹介をしたり、向こうの家族構成を聞いたり好きな食べ物を尋ねられたり、ハートフルなやりとりに妹子たちの緊張した心は少しずつほぐされていった。

朝井リョウ『風と共にゆとりぬ』©文藝春秋

 だが、もちろん中学二年生の英語力ではそのメールのほとんどを読解することができない。先生たちからはできるだけ辞書などを利用し自力で読むようにと言われていたが、デジタルネイティブ世代に生まれたネオ・妹子たちは即翻訳サイトという神器の使用を解禁した。私も例に漏れず、初めて届いたメールの本文をまるごとコピー&ペーストした。

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 ドキドキは最高潮に達していた。数か月後には家族のように生活することになる、カナダ在住のウィリアムズ家からの初めてのメールなのだ。

 英語→日本語。変換される道筋を確認し、胸の高鳴りを抑えるようにエンターキーを押す。

 【おい Ryo】

 私は「ヒイ」と奇声を上げながら椅子から転げ落ちた。今から十数年前、翻訳サイトの精度は抜群に粗かったのだ。Hiが【おい】と訳された文章は、初めてのメールの割にはやけに好戦的で、14歳だった私は「これが北アメリカ大陸……」とビクビク怯えた。

 私がステイすることになるウィリアムズ家は三人きょうだいだった。まず、私と同い年である、14歳の男の子のジャック。ステイ中は一緒に学校に通うこともあるため、ジャックと私はほとんどの行動をともにすることになる。その下には、年の離れた妹と弟。妹と弟はまだ小学校に入る前とかで、ジャックもかなりかわいがっているようだ。

 ジャックは活発な少年であるらしく、バスケやサッカーなどいろんなスポーツが好きみたいだ。思いっきり他力で翻訳された文章を読みつないでいくと、最後のほうに、こんな文章が現れた。

 【だけど今一番好きなのは、氷のインチキです。なので、こちらに来たときはぜひ一緒に氷のインチキを楽しみましょう!】

 文末にエクスクラメーションマークが付くくらい陽気な文章であったが、何か薄ら怖いことに誘われていることはよくわかった。氷のインチキって何だろう。果たしてそれは異国から来た少年と無邪気に興じる類のものなのだろうか。私は散々頭を悩ませたのだが、やがてそれは、カナダの国技でもあるアイスホッケーのスペル、【ice hockey】からcが抜け落ちたことによる【ice hokey】の直訳だということが発覚した。こんな形で、すぐにメールの文面をコピペするのではなく一度自分で訳してみるべきだという先生の教えが身に染みたのである。【ice hokey】という字面を目で見てさえいれば、見知らぬ外国人と身も凍るような騙し合いをする羽目になるのか、と怯えていた無駄な時間を省けただろう。