重視したのは人を殺すことよりも…

 宿舎を襲って人員を殺傷することを目的とした班と、戦車やトラックに火を放つ班に分かれ、訓練通りに十数分の間に与えられるだけの損害を与え、撤収する手はずだった。この襲撃では「人員殺傷よりも、むしろ兵器を焼くこと」に力点を置いたという。ホイッスルで一斉に引き揚げると、50~100メートル走ったところで「やっと(後方から)弾が来て、生き残り(のソ連兵)が撃って。でも全然当たらないんです。だから損害がない」。

人を殺すよりも、兵器を燃やすのが目的だった ©︎AFLO

 この時の敵の損害を、内山はシベリアへ送られる際に裁判で聞かされた。それによると、200台の自動車と14両の戦車が燃やされ、死傷者は八十数人だったという。ソ連軍には女性兵士がいることは隊員らにも事前に知らせてはいたが、「これも戦闘員ですから」と結局、彼女たちに手加減することはなかったと、内山は打ち明けた。各自が潜行しながら、襲撃部隊は27日朝までに拠点へ帰還した。自軍は戦死と行方不明が各2人、重軽傷が17人。これが戦闘をやめるまでの間で唯一、人的損害を出した事例だったという。

 全員が疲労困憊だったので、以後3日間は休養と決めた。転機が訪れようとしていた。

次の記事に続く 「私は降伏しない!」第2次大戦末期、“無条件降伏後”もソ連兵を殺し続けた「旧日本軍・恐怖のゲリラ部隊」が最後に受けた「むごすぎる仕打ち」

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