第2次世界大戦の末期、ソ連軍が侵攻した満州ではいくつもの惨劇が繰り広げられた。中でも、8月14日に西部国境に近い地域で起きた「葛根廟(かっこんびょう)事件」は、ソ連軍による民間人殺害事件のうち、最も大きなものの一つとされる。

 事件の生存者によると、現場の草原には女性や子どもの悲鳴が響き、血の海で死んでいる母にすがりつく赤ん坊もいたという。そして、ソ連軍が去った後には死体が折り重なっていた——当時の様子を『満州スパイ戦秘史』(永井靖二著、朝日新聞出版)から一部抜粋し、お届けする。

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 本書は、アメリカに保管されている証言録音から、関東軍が満州で繰り広げていた諜報戦などの内実を解き明かそうというものだ。だが、彼らの言動の陰で開拓団員をはじめとした在留邦人や、兵士らが郷里に残してきた家族は、どんな目に遭ったのかという点にも、少しだけでも触れておかなければならないと考えている。

 前述の挺進大隊や国境守備隊の一部を除けば、満州国へなだれ込んだソ連軍の前面に立たされたのは、各地に居留する民間邦人や開拓団員らだった。

 1945年8月14日には、満州国の西部国境に近い葛根廟付近で、避難民1000人以上が戦車部隊に虐殺される「葛根廟事件」が起きた。ソ連軍による民間人の殺害事件で、最大規模の一つとされる。

 東京都練馬区の大島満吉(取材当時85歳)は、生存者の一人だ。