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人々は戦車に潰され、何百もの死体が折り重なっていた
女性や子どもが大部分だった避難民約1300人の列に14日昼前、戦車14両を含むソ連軍部隊が追いついた。当時9歳だった大島らは、長く延びた列の後続を待つため休憩中だった。
2歳の妹を背負った母が水筒を取り出している時、「戦車だ、逃げろ」と声が上がって人々が走り出した。エンジン音が近づき、丘の稜線から戦車が現れ、人々に向けて機関銃の掃射を始めた。
戦車がうなりを上げてジグザグ走行し、立ちすくむ人、逃げ惑う人をひきつぶした。キャタピラの音、エンジンのきしみ、逃げ惑う人々の悲鳴……。機関銃の猛烈な掃射音とともに、人間の体が跳ね上がるのが見えた。
大島は母と一緒に近くの溝に身を潜めた。一度、ソ連兵と視線が合ったが、自分たちには銃を向けず、ほかの方向を掃射して遠ざかった。必死でうずくまるうち、銃声は遠のいていった。
溝を這い上ると、何百という死体が折り重なっていた。やがて夜になり、生き残った人々も絶望のあまり自決を始めた。



