第2次世界大戦の末期、ソ連軍が満州へ侵攻を開始し、現地に残る旧日本軍と激しい戦闘が繰り広げられた。公的な記録は乏しいものの、当時はソ連軍を攪乱する目的で組成されたゲリラ部隊もあり、惨劇を招いている。
中でも「歩兵第123師団」は、めぼしい武器もないままにソ連軍と戦うことを強いられたという。その戦闘の詳細を、米軍の戦史研究家が当時の将官たちから聞き取った内容をまとめた書籍『満州スパイ戦秘史』(永井靖二著、朝日新聞出版)から一部抜粋し、お届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
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北部の街、孫呉(現・黒竜江省黒河市孫呉県)にいた歩兵第123師団は、7月10日付で挺進大隊を編成していた。すでに南方戦線へ兵力や装備を引き抜かれ、師団に残っていた砲は日露戦争時代のものだったという。軍馬はいたが、物資輸送に欠かせない挽き具はなかった。
一方、特に北部や西部の国境に近い部隊では早い段階から食糧の自給策がとられ、師団や旅団ごとにブタを500~600頭ずつ飼い、現地農園も持っていたので食糧には不自由がなかったという。そんな状況下、決戦を見込んで各部隊でゲリラ戦に適した優秀な兵が選抜された。
人選を担当した師団参謀長の土田穣大佐は、「武器がないでしょ。で、結局、ゲリラでうんと敵を痛めつけてやろうというつもりでおった」と、クックス博士に語っている。



