「こんなことでは戦にならないじゃないかっ」自爆は全く効かず…
進撃してくる相手にいったん「下がれ」と言う土田に、露木は「向こうは機械化兵団だから下がれない。突き抜けていく」と反論した。「下がったら、主導権を失ってしまう。それを突き抜けると、わりあい自由になる」と主張する露木に、土田は「貴様の思う通りにやれ」と答えたという。露木は部隊に戻った後も、これらのやりとりを部下の中隊長らには伝えなかった。
訓練内容を想定される戦闘地域に合わせたものに修正したうえ、「一生懸命やれ」とだけ命じた。露木がソ連軍の侵攻を知ったのは、8月9日午前4時だったという。北から飛行機の金属音が響き、やがて師団司令部から伝令が来た。露木は隊員らと水杯を交わし、部隊は戦車に肉薄攻撃する隊と、夜襲を仕掛ける隊とに分かれた。肉薄攻撃隊は、孫呉から約20キロ東の山間部に待ち構えた。
11日、ソ連の戦車部隊が現れた。師団から支給された兵器は、7キロ爆弾が40個だった。1939年のノモンハン事件でソ連軍の主力だったBT-5戦車は、火炎瓶で炎上した。だが、独ソ戦のころから主力となったT-34戦車は、7キロ爆弾を抱えた兵が装甲の一番薄い車体の底へ飛び込んで爆発させても、効果はなかった。
自爆攻撃ははね返され、またたく間に隊員37人が爆死した。
「全然効かない」
伝令が泣きながら、報告に来た。
「こんなことでは戦にならないじゃないかっ」「いったい、何の準備しとってくださったんですかっ」。土田参謀長のもとに露木は怒鳴り込んだ。
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