第2次世界大戦の末期、ソ連軍に恐れられた旧日本軍のゲリラ部隊が存在した。彼らはソ連軍から決死隊を意味する「スメルトニク」と名付けられ、1945年8月15日以降も激戦を繰り広げたとされる。最終的に肉弾戦をも辞さなかったという恐怖の部隊は、1945年の8月14日からソ連への夜襲を開始した。『満州スパイ戦秘史』(永井靖二著、朝日新聞出版)から一部抜粋し、お届けする。(全3回の2回目/続きを読む

ソ連軍を夜襲した恐怖のゲリラ部隊「スメルトニク」 ©︎AFLO

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 内山は大急ぎでゲリラ戦の態勢を整えた。密林の中の見えにくい場所に八錐形の天幕を張って本部とし、隊員の残り半数は洞窟に潜ませた。手持ちの爆薬は限られていたので、全部手作りの手榴弾にした。監視兵を要所に置き、敵戦力の出入りを把握する仕組みを整えた。爆薬を浪費する戦車への攻撃は禁止し、トラックは「やってもいい」けれど、自分が許可したもの以外は攻撃してはいけないと命じた。戦車よりも、燃料の補給を攻撃する。砲撃があれば、砲兵を狙う。高等司令部が来たら、将軍を狙う──。要するに「殴り込むんですよ」と、内山は語った。

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 ゲリラ部隊が態勢を整え、夜襲を始めたのは14日からだったという。居場所を探知されないよう少し離れた山奥に置いていた無線班が15日、「停戦」を受信した。だが、「もちろんこれは噓だ。敵の謀略であろう」と、内山は受け付けなかった。連隊長から正式な命令があるまでは戦闘を続ける決意だった。

「ここに入ってきた(ソ連軍の)部隊は、囚人部隊なんです。……要するに愚連隊なんです」。だから「警戒は非常に下手だった」という。「すごく悪いことを日本人の女なんかにしたし、同時に弱い。警戒心が悪くて弱くて、殴り込んでいく時には、降参、降参ってやるんですがね」