最終的に停戦を受け入れた部隊を待っていたのは…
だが、連隊長は「お前たちが抗戦することは、関東軍全体、日本国家にまで迷惑を及ぼす。とにかく戦はやめて俺の命令を聞いてくれ」と、重ねて懇願した。その晩、連隊長からの手紙を携えた将校が、敵中をかいくぐって内山の拠点まで訪ねてきた。
手紙は「これ以上やっても無駄だ」と、繰り返し説得する文面だった。同時に、ここ半月ほどの間に起きた、日本の無条件降伏の表明から満州国の崩壊、関東軍の武装解除に至る一連の出来事を、初めてこの将校から知らされた。
「私たちは全くここで浦島太郎のように孤立しとった」。時局の変転を知らないままゲリラ戦を続けていたことに、内山は気付いた。一晩考えた末、戦闘中止を決めた。今度は内山が、いきり立つ隊員らを説得する番だった。
「状況判断をして、戦をする必要があると思ったら私は帰ってくる」などと説き伏せ、31日の朝、負傷者も含む全隊員を連れて出発した。密林の中を潜行し、豊焼に着いたのが9月2日の朝だったという。
連隊長は「よく出てきてくれた。そこへ武器を置け。お前は日本へ帰るのだ」と、涙を流しながら喜んでくれた。すでに、その場にはソ連軍の将校がいた。
「今晩、宿舎にご案内いたします」と告げられ、暗くなるまで待たされた。日没後に豊焼から約14キロ南の金蒼(同・金蒼駅)まで連れられ、真っ暗な中を「宿舎」へ案内された。中にはすでに、東寧一帯に布陣していた第128師団などの幹部らもいたという。
「楽観しておった。いわゆる『停戦』という言葉を……」と、内山は上官や自分たちの甘さを振り返る。翌3日朝、明るくなって気付けば、そこは鉄条網で厳重に取り囲まれた建物の中だった。待っていたのは、シベリアでの強制労働だった。
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