「僕が帝京にあこがれたのは、単純に…」

 僕が帝京に憧れたのは、単純にユニフォームがカッコよかったからです。帝京っていう名前、漢字もカッコいいし、胸の“Teikyo”の横文字もカッコいい。

 帝京に豊田(智伸、のちに青山学院大)さんという、僕より7つ上の江戸川南の先輩がいて、僕、リトルに入ったばかりの頃、「大輔は豊田に似てる」ってよく言われたんです。顔なのか雰囲気なのかよくわからないんですけど、豊田さんがいた帝京が当時、春と夏の甲子園へ出ていたので、帝京の試合はずっとテレビで観ていました。

 豊田さんの代は夏の甲子園でベスト8まで勝ち進んで、優勝した大阪桐蔭に負けたんです。その翌年、三澤(興一、のちに早大からジャイアンツ)さんがエースになって春のセンバツで優勝した。

ADVERTISEMENT

 帝京は僕が中3のときも、決勝で星稜に勝って夏の甲子園で優勝しました。豊田さんをきっかけに帝京ってカッコいいなと思って、そこからずーっと帝京が好きで、強い帝京に憧れて、OBでもないのに今でも帝京には強くあってほしいと思っているんです。

帝京高校にあこがれたのは、まずユニフォームがカッコよかったからだという ©文藝春秋

 進学先の候補は、帝京、横浜の他にも何校かありました。東海大相模、桐蔭学園、千葉も何校かあったと思うんですけど……東海大浦安だったかな。僕、とにかく縦縞のユニフォームが好きでした。

 だから帝京以外だと東海大系列の高校に気持ちがいってましたね。中学時代に練習でグラウンドを使わせてもらった関東一にも行ったかな。そうやって、それぞれの高校の練習を父と一緒に見に行きました。

 決め手になったのは……なんだろうな。球場の違いかな。帝京の野球部がグラウンドをサッカー部と半分ずつ使っているのは知っていたんですけど、実際に見て、こんな環境で練習して全国制覇を成し遂げたのかってビックリしたんです。グラウンドは横浜のほうに惹かれましたね。

 あとはブラジルで良男、小池、常盤に誘われたことも大きかった。3人に「オレら、横浜へ行くから一緒に行こうぜ。浜松から後藤も来るし、お前が来たら絶対に甲子園じゃん」って(笑)。最終的には帝京か横浜で悩んで横浜にしましたけど、もし帝京に行っていたら、僕、バッターでプロに入ってたんじゃないですかね(笑)。

松坂大輔 怪物秘録

石田 雄太

文藝春秋

2025年7月25日 発売

次の記事に続く 「当時のことに時効ってあるのかな。大人の世界の怖さを思い知らされました」松坂大輔が明かす“3球団競合”ドラフトの複雑すぎる思い出

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。