「アイツは振りかぶる姿が様になってる」
ブラジルで世界最強のピッチャーになると寄せ書きに書いたのは、僕の中でピッチャーはやらなきゃいけない、エースにはならなきゃいけないという気持ちだったからで、プロへ行くのはバッターとしてだと思い続けていました。実際、横浜高校へ行ってからも渡辺(元智、監督)さんは、もし僕がピッチャーとしてモノにならなかったら、肩もいいし外野手でいけるだろう、と思っていたそうなので(笑)、可能性はあったんじゃないかな。
ただ小倉(清一郎、野球部部長)さんが「アイツは振りかぶる姿が様になってる」と言って、僕のことをピッチャーとしてしか見てなかったんです。僕は、子どものときに野球チームに入るきっかけになった代打ホームランとか、節目節目で覚えているのはピッチングよりホームランのことばかりなんですよね。
横浜にも、常盤がいて、小池もいて、浜松シニアから後藤(武敏、のちにライオンズ、ベイスターズ)も来て、錚々たるバッターが揃っていました。後藤は入学早々、ホームランを連発していましたし、僕がバッターとしてプロへ行くなら彼らより打てるようにならないとダメだ、と身近なところにラインを引いて考えていたんです。
後藤や小池、常盤より打って、ピッチャーをやりながら横浜の4番を打って、バッターとしてドラフト1位で指名される、というのが目標でした。少なくとも世界最強のピッチャーになろうと思って練習したことはありませんでしたね(笑)。
志望先は横浜高校でも、東海大相模でもなく…
僕はそもそも、高校は帝京へ行くつもりだったんです。中3の夏の日本選手権をいろんな高校の関係者が観に来ていることは知っていました。横浜からは小倉さん、帝京も前田(三夫、監督)さん、当時は関東一の小倉(全由、監督)さんも来ていました。
