「平成の怪物」、松坂大輔。横浜高校で甲子園を春夏連覇し、西武ライオンズでは高卒1年目からローテーションを守り、数々のタイトルをものにした。その後、日本のWBC初制覇やメジャーへの挑戦といった華々しいキャリアを歩んだ松坂だが、メジャー後半は故障に苦しみ2015年シーズンに日本へと戻ってきた。

 松坂が日本復帰時に選んだのは、福岡ソフトバンクホークスだった。その理由について松坂は「金額ではない」と振り返る。では、いったいなぜホークスを選んだのか。ベースボールジャーナリスト・石田雄太氏の著書『松坂大輔 怪物秘録』から一部抜粋し、お届けする。(全3回の3回目/最初から読む

2015年シーズン、松坂大輔が日本球界の復帰先として選んだのは福岡ソフトバンクホークスだった ©文藝春秋

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日本に戻った理由は…

 もちろん、そのときの僕はホークスに骨を埋める覚悟でいました。お世話になるからには福岡で野球人生を全うしようと思うのは当然です。日本へ戻ることを決めた一番の理由は先発をやりたいからでした。

 その前のメッツでのシーズン、中継ぎをしながら、突然、先発したりして、自分の役割がどちらかわからなかった……そんな状況を作ってしまったのは自分ですが、肩に不安がある中、ブルペンでの準備の難しさはいつも感じていました。投げすぎてもダメだし、次に行ってくれと言われてすぐに肩を作ってパッと行くのも難しい。タイプ的に中継ぎの難しさを痛感していたんです。

 だから、もう一度、先発で勝負したいという気持ちを強く持つようになっていました。思えば2014年の春先には先発でやれる手応えがあって、自分なりに先発するための変化も受け入れたつもりでした。投げるたびにその日の体調によって痛くない投げ方を探しつつ、力で押すか、あるいはボールを動かして打たせるか、その時々で自分のピッチングスタイルを変化させる術も身につけました。

 自分なりに新しい先発の形をイメージして、抑え方も変えました。こういうピッチングができれば先発できると思っていたのにチャンスがなくて……僕の中ではスピードも球威も戻り始めた手応えのあるシーズンでしたし、どのチームへ行っても次の年につなげられるんじゃないかと思っていたんです。だからアメリカでも日本であっても、先発ピッチャーとしてシーズンを過ごせると思っていました。