「平成の怪物」、松坂大輔。彼の名が世に轟いた大きなきっかけは、横浜高校時代に見せた活躍だ。しかし、中学生時代に全日本代表に選ばれていた彼は、もともと横浜高校ではなく別の高校に進学するつもりだったという。ベースボールジャーナリスト・石田雄太氏の著書『松坂大輔 怪物秘録』から一部抜粋し、お届けする。(全3回の1回目/続きを読む

横浜高校に進学した松坂だが、当初は別の学校を志望していたという ©文藝春秋

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ピッチャーではなく、バッターとしてプロを目指していた

 全日本に選ばれていた中本牧の3人は、揃って横浜高校へ進むことを決めていました。だからブラジルで「一緒に横浜へ行こう」と誘われました。でも、世界大会で個人タイトルは獲りましたが、僕はピッチャーとしては、いいときはいい、悪いときは相変わらず、みたいな感じで、全日本でも最後はフジ(藤本厚志)が勝ち取った4番を狙っていました。

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 僕は3番とか5番で、もちろんフジのことは認めていましたけど、打つほうでフジに敵わないとは思っていませんでした。中学生なりにフジはプロに行くんだろうと思っていましたし、僕もバッターでプロに行くつもりでした。だから高校でフジとクリーンアップを打ちたいと思っていたんです。

 結局、フジは江戸川南の(小谷野)栄一(のちに創価大からファイターズ)、絵鳩(隆雄、のちに創価大からヤマハ)と一緒に創価高校へ進んで3年春に甲子園へ出場しました。僕は、横浜に進んでからもバッターとしてプロへ行くことをあきらめていませんでしたよ。

 なにしろ小学校の卒業文集に「プロでホームラン王になる」と書いて、卒業式では「100億円プレイヤーになる」とまで言っちゃってましたし、僕の中ではピッチャーとして三振を取るよりもバッターとしてホームランを打つ気持ちよさのほうが完全に上回っていましたからね。