――留年や中退に対して、ご両親の反応は?
岡田 中退はもう大反対でした。親戚も含めて「とにかく卒業はしときなさい」という大人しか周りにはいませんでした。3年生の頃からずっと高校を辞めたい辞めたいと言い続けていたんですが、留年したのを見て、周りも「しょうがないか」と諦めてくれたんですよ。
――中退はしても、高卒認定試験を経て東大を目指す気持ちは変わらなかったのですか?
岡田 変わらなかったですね。函館ラ・サールの友だちで、すごく不良っぽい見た目なのに勉強は本気でやってる人がいたんです。ステレオタイプな不良じゃなくて、見た目は好きなようにする、勉強も好きなようにする、どっちも自分の意志っていう感じでロックでかっこいいなと思って影響を受けたんですよね。それで自分も「東大目指しとくか」みたいな感じで目標に設定しました。
――その後、3年間東大を受験し続けたんですね。
岡田 3回やって、3回とも落ちました。1年目はセンター試験の足切りにひっかかって、2年目はセンターは超えたけど2次がダメ。一応受けていた同志社には入ったんですけど授業よりは次の年の東大受験へ向けた仮面浪人みたいな感じで。でも3年目も2次試験で3点差で落ちて、早稲田の法学部に入りました。3度目が合格に一番近づいていたんですよ。
――3点差は悔しいですね。もう1度、とはならなかったんですか。
岡田 確かに成績は上がっていたんですけど、3回目でダメだったらきっぱりやめると決めていました。「大学受験を一生やってもしょうがない。そろそろ次のステージに進まないと」という思いがあったし、点数は上がっていても自分の熱意がもう持たない感じもあって。
――親の反応はどうでしたか?
岡田 2年目に同志社に入ったのは親のススメもありました。「東大のセンター試験も通ってるのに学歴として中卒になってるのはもったいない気もするし、実力はあるんだからどこかには入ったら?」と言われて同志社に入ったんですけど、結局やめちゃって。早稲田に入ったときは少しほっとしていたと思います。
「早稲田にはミスターコンがなかったので、じゃ、やってみようかなと」
――勉強は嫌いにならなかったんですか?
岡田 勉強すること自体好きではありませんが、なんとか楽しめるように工夫しました。授業を聞くのが苦手なので大学の講義はツラかったですね。当時から司法試験の塾に通っていて、塾のオンライン講義は倍速にしたり5秒前に戻したり自分のペースで聞けるけど、普通の講義はそれができないですよね。それで「ここ知ってるな」と思った途端に興味を失って意識がどこかへ行っちゃったり、寝ちゃったりしていました。
――司法試験を目指していたところから、芸能界に入ったのはどんなきっかけだったんでしょう?
岡田 ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに妹が応募したのが直接のきっかけではあるんですけど、大学のサークルにたまたまミスター慶應とかミスター東大とかがいたんですよね。でも早稲田にはミスターコンがなかったので、じゃ、やってみようかなと。
