青葉は第5スタジオを立ち去る際、その建物を仰ぎ見ている。多くのファンに愛され、にぎわいを見せるショップは、京アニが成功した証しだった。一方、自分は何者にもなれなかった。
「自分が落ちることで、京アニが上がっていく。コントラストというか、光と影を感じた記憶があります」(第6回公判)
京アニは「光」、自身は「影」と表現した。
ホームセンターでガソリン携行缶、ガスライター、ハンマーなどの犯行用具を買いそろえ…
16日、前夜に宿泊した京都駅前のホテル近くにあるインターネットカフェを利用し、第1スタジオやホームセンターの場所を検索した。その後、電車で移動し、自分の目で第1スタジオを確認している。この日も同じホテルに泊まった。
事件前日の17日、電車に乗り、宇治市のホームセンターでガソリン携行缶、ガスライター、バケツ、台車、ハンマーといった犯行用具を買いそろえた。このとき、再び電車に乗ると、購入した商品から周囲に怪しまれると考え、夏の炎天下、7~8キロの道のりを徒歩で北上した。
事件現場付近の防犯カメラには、白昼堂々、赤い半袖シャツにジーンズをはいた青葉が犯行に使う道具を台車に載せて押す姿が複数記録されていた。
同日午後4~5時ごろ、第1スタジオ近くにある公園に到着した。以前に見た京アニに関するドキュメンタリー映像で、従業員が午後3時ごろにはラジオ体操をしていたことを覚えており、午後5時では退社している人もいると考えた。
従業員が着席している時間を狙うため、犯行時刻を午前10時30分ごろと決めた。残金が少なくなり、この日は公園に野宿することにした。
犯行当日
18日。青葉はよく眠れないまま事件当日の朝を迎えた。コンビニで買った牛丼とカップ麺を公園でかき込んでから、台車でガソリン携行缶を運び、午前10時15分ごろ、第1スタジオのそばに着いた。
標的へとつながる路地で、急に頭を両手で抱え込み、うずくまった。36人を殺害することになる男は犯行の直前、十数分間にわたって、ぎりぎりの逡巡を続けた。
脳裏には「社会の底辺」を生きたこの20年間の出来事が走馬灯のように浮かんでいたという。どの仕事も長続きせず、犯罪に走り、小説家の夢はついえた。揚げ句の果てに「盗作」もされた。もがいても、何1つ実らない人生だった。
すぐ先の建物の中では、世界中のアニメファンの心をつかみ、勇気を与えてきた京アニのクリエーターたちが、この日も作品を手がけていた。
