マインドコントロール下に置かれた一家6人が互いを拷問・虐殺…日本犯罪史上でも類を見ない凶悪事件「北九州監禁殺人事件」はなぜ起きたのか?
犯人の松永太と共犯である緒方純子との出会い、そして卑劣な「マインドコントロール」手法を、狂気に走った31組のカップルの血の記録『世界の殺人カップル』(鉄人社)のダイジェスト版・前編よりお届けする。
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「北九州監禁殺人事件」はなぜ起きた?
松永は1961年4月、福岡県北九州市で畳屋を営む両親の長男として生まれた。中学時代は校内弁論大会で優勝するほどの口の巧さを持ち、成績優秀でリーダーシップもある存在だった。だが教師からの評判は低く、弱い者への横暴さや虚言癖が目立っていたという。
高校時代に風紀委員長を務めていたが不純異性交遊で退学処分となり、別の高校に編入。卒業後は布団訪問販売会社「ワールド」を設立。原価3万円の布団を25万円で売りつける詐欺的商法で会社を急成長させた。
一方、緒方は1962年2月、久留米市の農家に生まれた。祖父は元村議会議員、父親は農業をしながら鋼鉄メーカーに勤める裕福な家庭の娘だった。性格はおとなしく地味ながら成績は優秀で、短大卒業後は幼稚園教諭として働いていた。
高校の同級生だった松永との縁は薄かったが、卒業後に突然の電話で交際が始まり、緒方は松永に処女を捧げる。当初は遊び目的だった松永だが、緒方の家が資産家と知ると目的は財産奪取へと変わった。
緒方が叔母に不倫関係を打ち明け、両親が松永を調査したことで、松永の態度は一変する。「おまえのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ」と言い、竹刀で喉ぼとけを殴り、踵落としで太ももをえぐり、胸と太ももにタバコと安全ピンで「太」と自分の名前を刻むなどの虐待が始まった。驚くことに、松永は緒方の母親を呼び出して強引に肉体関係を持ち、味方につけてしまう。
1990年頃、バブル崩壊でワールドの売上は急落。松永は緒方ら複数の愛人の名義で金融機関から借金させ、会社運営資金に充てていた。1992年7月、詐欺罪と脅迫罪で指名手配された松永は逃亡するが、緒方は1993年1月に松永の子を出産した。
金に窮した松永は1995年、マンションを仲介してきたBさん(当時34歳)に目をつけ、投資話を持ちかけ1000万円以上を奪う。さらにアルコールに弱いBさんを泥酔させ弱みを握り、通電という恐ろしい拷問を加えた。通電とは、電流を流した2本の金属棒を焼跡が残るほど体に押しつける方法で、松永がワールドの従業員に対しても使用していた手法だ。
恐怖のマインドコントロール手法
度重なる拷問でBさんは衰弱し、1996年2月に死亡。松永はBさんの遺体を細かく切断して処理するよう緒方に命じ、彼女に罪の意識を植え付けた。これが松永のマインドコントロール手法の一つだった。
生活費に窮した松永は緒方の母親から仕送りを受けていたが、1997年4月、虐待に耐えかねた緒方が突如逃亡する。激怒した松永は緒方の両親に娘が殺人に関与していると告げ、家族を呼び出して緒方を取り押さえさせた。
松永は殺人犯である緒方を匿うという名目で家族から毎月多額の金銭を要求。目標額に達しないと通電の罰を与え、家族を支配下に置いた。さらに緒方の妹の元警察官の夫にも近づき、家族への不満を聞き出して暴力を振るわせ、殺人の証拠隠滅に加担させることで彼も支配した。
松永は緒方の母親、妹とも肉体関係を結び、そのことを家族に公表して家族間の分断を図った。こうして緒方一家は松永のマインドコントロール下で互いを拷問・虐殺する地獄へと引きずり込まれていったのである。
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