まさか自分が「ルー・ゲーリッグ病」と闘うことになるとは

 黒田博樹が「男気」でカープに戻った2015年以降、チームは25年ぶりの優勝を果たし、再び黄金時代を迎えた。しかし栄光は一瞬で、4連覇を逃すと再び低迷。そんな頃、世界はコロナ禍に揺れ、私の身体にも異変が起きた。

 最初は違和感だった。ボディビルで鍛えてきた自慢の腕や足に力が入らない。思うように動かせない。検査の結果、告げられた病名はALSだった。全身の筋肉が徐々に衰え、やがて呼吸筋まで蝕むこの病こそ、ルー・ゲーリッグが闘ったものだ。彼は35歳で発症し、すぐに引退。そして37歳で亡くなった。アメリカでは今もALSは「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれている。

 なんという巡り合わせだろう。衣笠さんが塗り替えた記録の原点にある病と、まさか自分が闘うことになるとは。もしルー・ゲーリッグが発症せずに現役を続けていたなら、あの記録はもっと遠い存在だったかもしれない。

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 発症から5年。いま私は車椅子の生活となったが、マツダスタジアムには年に数回は訪れる。随分と容姿は変わったが、カープへの愛情はむしろ強くなった。

今はまだくたばるわけにはいかん

 新井貴浩——私と同じ高校の後輩が監督となり、今年で3年目。カープは少しずつ、泥臭く粘り強いチームに戻りつつある。

 私の願いはただひとつ。新井カープが日本の頂点に立つその日まで、小園海斗、中村奨成、佐々木泰ら若鯉たちが一流のスターになるのを見届けるまで、「くたばるわけにはいかん」ということだ。

新井貴浩監督 ©文藝春秋

 これは不治の病に苦しむ人間のお涙頂戴話ではない。私はこの病を本気で治すつもりであり、今もいろんな治療に取り組んでいる。その暁には孫たちとコンコースを歩き、スクワット応援もCCダンスもやってのけてやる。

 絶望の淵から生還し、私も鉄人になる。そして鉄人の系譜に加わりたい。それが今の私の夢だ。

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