※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2025」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】上本 壮一 オリックス・バファローズ

高卒ルーキー世代の大学生。地元・大阪の公立小学校で配られた無料招待券がきっかけでオリックスファンに。ペンネームの「壮」の字は田口壮さんから拝借している。今年の目標はほっともっとフィールド神戸に足を運ぶこと。

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「絶対に行くって言うてたもんな」

 2024年9月24日。終礼の後、野球好きの友人に声をかけられた。「そら行くよ」と答えて教室を出た。数日前にひいた風邪は完治していなかった。翌々日には高校最後の体育祭が控えていた。それでも、どうしても行かねばならない場所があった。T-岡田選手の引退試合だ。

 通学時に乗り換えに使っている駅を通り過ぎ、京セラドーム大阪へと向かう。ドームに着いて、いつもの内野上段席に腰掛ける。先に夕食をすませ、彼の愛息による始球式を見届ける。そして、試合が始まる。

 この日の試合内容はあまり覚えていない。いや、思い出したくない。前列に座っていた若者は、3回にはスマホゲームを始めていた。退屈な試合だった。しかし、そんなことはどうでもよかった。どのタイミングで彼がバッターボックスに立つか。わたしの興味はそれだけだった。

 その時は5回ウラにやってきた。8番打者の若月選手に打順が回る場面で、本塁に近いほうからスタンドがざわめく。聴き慣れた登場曲が流れる。タオルの花が咲く。スタジアムDJが「ピンチヒッター、背番号55、T-岡田ぁ!」とコールする。そして、頼れる兄貴は左のバッターボックスに入る。幾度となく聴いたチャンステーマがかかる。数列前の席にいる少年が、「お・か・だ! お・か・だ!」と歌いだす。わたしの少年時代のひとつが、終わろうとしている。

白黒の紙面に写る背番号55はヒーローそのものだった

 わたしが初めて京セラドームに足を運んだのは、小学1年生のときだった。スタジアムDJの洒落たアナウンス。格好良さが伝わる応援歌。背筋を伸ばして打席に入る選手。全てに魅了された。わたしはバファローズのファンになった。

 ファンになって2年目、バファローズは最後まで優勝を争った。しかし、ホークスに敗れて優勝を逃した。T-岡田選手がCSの2戦目でホームランを打ったのは、次の日に新聞で知った。白黒の紙面に写る背番号55はヒーローそのものだった。わたしはたちまちT-岡田選手のファンになった。今思えば、人生で初めての「推しメン」だった。必死に応援歌も覚えた。記憶したメロディーを頼りに、歌詞カードと照らし合わせて習得した。チャンステーマまで完全に記憶するのに半年かかった。

 ドームで隣の席に座っていたバファローズファンのお兄さんに「どの選手が好きなん?」と尋ねられたのは小学5年生の時だ。間髪入れず「Tです」と答えた。「センスええやん」と言われた。わたしの選択が正しいと言ってもらえたような気がした。

 中学1年生の晩夏、推しが移籍するかもしれないという報道がわたしの耳に入った。移籍は本人や球団の意思であり、わたしにはどうにもできない。ただ一ファンとして、他球団のユニフォームに袖を通す姿を想像したくなかった。秋になり、残留することが確定した。残留の決め手はファンの大声援だったと後から知った。一ファンとしてこれ以上に嬉しい言葉はなかった。

 2021年、バファローズはようやく長いトンネルから抜けた。優勝を大きく引き寄せたのは、推しが千葉の夜空に放った一発だった。その年から、バファローズはリーグ3連覇を達成した。しかし、推しはなかなか状態が上がらずにいた。毎年のように春季キャンプの練習内容に「トレーナー調整」とだけ書かれている推しを見るのは辛かった。あと数年でグラウンドを去るのだろうと悟らざるをえなかった。

 2024年9月8日、「T-岡田 今季で現役引退へ」というニュースが飛び込んできた。とうとうこの時が来てしまったか。ならば、最後の雄姿を見届けるのみだ。すぐさまチケットを購入したのはいうまでもない。そしてわたしはここにいる。