※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2025」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】kikyuu 中日ドラゴンズ

名古屋生まれ、ドラゴンズ育ち、悪そうな奴とは大体目を逸らしがちな堂上剛裕・ゴマキ世代。家族構成は妻と2児とニャンコ3匹。現在は空調服を装備し、現場を駆け回り、事務仕事を熟す、戦う顔したドラゴンズ箱推しおじさん。コラムは仕事の息抜きに執筆、ノリと勢いで初投稿。

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 かつて地元に「おもちゃのレオ」というおもちゃ屋があった。(恐らくは手塚プロダクションに)無許可で微笑む、ジャングル大帝のレオが目印の街のおもちゃ屋さんだ。イゼキはそこの常連だった。

 アーケード版ストリートファイターⅡを小学2年生ながら、中学生と一緒にバトルする、襟足だけ長い、所謂不良とされる児童だった。

 イゼキの噂は散々だった。九九が出来ないらしい、姉がヤンキーらしい、眼鏡の度が合ってないらしいetc…。私は幼心に、「どうかイゼキと同じクラスにならないように」と神様へ願ったものである。

 しかし、私の幼い願いは簡単に裏切られる。私とイゼキは同じクラスになった。イゼキは噂通り九九が出来ず、姉はヤンキーで、眼鏡の度が合っていなかった。矯正視力で0.1という人間を生まれて初めて見た。一体何の為の眼鏡なんだ? イゼキよ。

2人を結びつけたのはあの名作プロレスゲーム『マッスルボマー』だった

 私とイゼキは帰り道が同じ方向だった。部活もやっていない、一芸に秀でてない、ザコキャラな私達は一緒に帰ることになった。

 イゼキは馴れ馴れしい奴だった。イゼキは私が登下校で被るドラゴンズ帽子を見て、嬉しそうに「俺もドラゴンズファンなんだ」と言った。私は当時ドラゴンズに全く興味がなく、日射病対策の為に父親から当てがわれたD帽を被っていただけだった。私は素っ気なく、「ふーん、そうなんだ。オチアイっていう人が凄いらしいね」と知ったかぶりの知識を披露した。イゼキは悲しそうに「落合は読売へ寝返ったよ」と言った。

 特に盛り上がらず、帰り道を歩く私達。するとイゼキはもじもじしながら「あ、あのさ、今日kikyuuんちに行ってもいいか?」と言ってきた。私はイゼキの悪い噂その4、「遊びに来るときに手ぶらで来る」を思い出したが、お土産の菓子なんて心底どうでもよく、「いいよ、スーファミのソフト何本か持ってきてよ。うちナタデココあるよ」とイゼキの提案を許可した。

 イゼキが持ってきたソフトにマッスルボマーがあった。マッスルボマーは原哲夫先生がキャラクターデザインをしたプロレスゲームだ。詳細はWikipediaででも調べて欲しい。

 私達はすぐにマッスルボマーにハマった。ボンバーマンのマルチタップで私の弟も入れて、私がマイクマッチョハガーを、弟がスティンガーを、イゼキがキマラ、通称デブを持ちキャラに延々と時間を浪費した。

 閑話休題。

 私が将来、世界平和に貢献し、ノーベル平和賞を受賞した暁には「今まで一番遊んだゲームは?」と宣う記者の愚かな質問に、私は胸を張って「マッスルボマー」と答えるつもりだ。それくらいマッスルボマーは人生No.1のゲームなのだ。