中日ドラゴンズに青春を捧げた1999年

 時は流れ、1999年。世紀末の韓国三銃士(李鍾範、サムソン・リー(李尚勲)、宣銅烈)。のちのブルー・スリー(荒木、井端、福留)。懐かしき3D(ルナ、エルナンデス、ナニータ)。やたら3人組を推したがる、そう、あの中日ドラゴンズ優勝の年だ。

 前年からハマり気味だった野球熱は開幕11連勝で、円山球場のサムソン・リーのクロスファイヤーの如く燃え上がり、ニキビ面に進化したザコキャラ2人をメロメロにしたのだ。

 学校中がGLAYかラルクで揉めている時は箸休めに、ゴメスのちょこちょこ走りをモノマネし、モー娘。に後藤真希が加入しようとも、ゴールデンルーキー福留孝介の加入がいかに素晴らしいかを周りに吹聴し、あいのりのラブワゴンより選手の送迎バスに乗りたかったあの頃、私とイゼキは中日ドラゴンズに青春を捧げた。

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 私達はなけなしの小遣いで外野自由席こどもを買い、試合前日に段ボールを貼りにナゴヤドームのコンコースへケッタ(自転車のこと)で走り、7回裏には誰も歌えないコスギ親子の「嵐の英雄(ヒーロー)」を聞き流し、カンフーバットでドラゴンズを応援した。

 その中でも一番の思い出はM1で迎えた9・30神宮での優勝決定試合のパブリックビューイングにナゴヤドームへ行ったことだ。ドラゴンズ運営らしくない粋で時代を先取りしすぎたPVは現監督井上一樹のフラミンゴツーベースで勝ち越しし、前監督立浪和義がセカンドフライを捕って優勝した。酔っぱらったおじさんたちが内野のネットを破り、勝手にグラウンドウォークを始めた時は、そのおこぼれに預かり2人で外野の天然芝に寝転んだ。ナゴヤドームの高い屋根を見ながら、「これが優勝かぁ」と笑い合ったものだ。

1999年9月30日、11年ぶり5度目のセ・リーグ優勝を決め、胴上げされる星野仙一監督 ©時事通信社

中学の同窓会開催のLINEが届いたが…

 また時は流れ、2023年。黄金期は過ぎ去り、秋のプレーオフがなくなったDファンの私に中学の同窓会開催のLINEが届いた。なんでも卒業以来何十年ぶりに同窓会を開催するというのだ。私はグループLINEのメンバーにイゼキを探した。

 イゼキとは中学卒業後会うことはなかった。喧嘩をしたとかではない。優勝の夜、イゼキのケッタがパクられたからでは、決してない。

 共に優勝を味わったイゼキ。風の噂では調理師免許を取りに専門学校へ行ったという。

 グループLINEにイゼキはいなかった。だから、ここからは私信に天下の文春様を使いたいと思う。私からイゼキへの文春砲だ。

 イゼキ、ここまで読めばもう俺が誰だか分ってると思う。そう、99年共に優勝を味わったある意味優勝メンバーの俺だ。この文章を読んでもし、俺とマッスルボマーをしたくなったら実家のチャイムを鳴らして欲しい。大丈夫、実家にはお前の見知った親父とお袋が未だ健在だ。26年分老けたが。

 マッスルボマーをやって、それからナゴヤドームへ野球を見に行こう。たぶん俺はお前と再会できて嬉しくなって涙を流し、売店のおねーちゃんにこう言うだろう。

「ねぇ、涙拭くポリエステルのジャンボリみきやタオル下さい。ジャンボリみきや下さい」と。

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