謎は著者の心中である。
《ひとの心は分からない》
作中、著者は、さりげなく、そう書いている。
おっしゃるとおりだ。私の場合、わからないから書いている。わかってしまえば書きたくもなくなる。わかったふりをして書くつもりはさらさらない。
その話は脇に置き、謎について書こうと思う。
黒川作品に共通しているのは、登場人物の行動背景がほとんど書かれていないことである。会話と行動で人物造形が成される。
極論すれば、書かないで書くという手法である。
これがむずかしい。書き手にとって、不安であり、恐怖でもある。
著者はどうなのか。
不安や恐怖はあるはずなのに、黒川さんの文章からはそれを感じない。
それどころか、登場人物の心中が透けて見える。
これが謎である。安心して読める魅力でもある。疑念が湧かないのだから、読みだしたら止まらない。
黒川博行さんとの縁は十二年になる。
私が会いたがっているのを知って、いまは亡き、ブックデザイナーの多田和博さんが紹介してくれた。
初対面の日、大阪のホテルのロビーで待ち合わせ、短い挨拶を交わすや、麻雀店へむかった。
以来、酒場で遊び、雀卓を囲んで夜を徹した。
そうするうちに気づいたことがある。
人や事象を見る確かな目、己の目を信じる心。黒川さんにはそれがある。
勝負事は、不安や恐怖を覚えれば負ける。
博奕(ばくち)のセオリーである。
黒川さんはそれがわかっていて、自分の観察眼と判断力を信じている。
加えて、距離感がある。
黒川さんと私は、近すぎることもなく、遠くに感じることもなく、程よい友人関係が続いている。
それは黒川さんの立ち位置が変わらないことに因るところがおおきい。
立ち位置がぶれない人と対峙するのは心地良く、安心感がめばえる。
私との距離のように、黒川さんは、作品や作中の登場人物との距離を常に一定に保っている。
言うは易い。行動には感情が伴うから、距離を保つのがむずかしくなる。
黒川さんはどう処理しているのだろう。
あらたな謎である。
かつて博奕をかじった者として、思うまま書き連ねた。多少なりとも、感情が入り混じっている。
読者諸氏は、寝言戯言と読み流し、『泥濘』にひろがる黒川博行の世界に耽っていただきたい。
くろかわひろゆき/1949年愛媛県生まれ。美術教師を経て、83年『二度のお別れ』が第1回サントリーミステリー大賞佳作、86年『キャッツアイころがった』が第4回サントリーミステリー大賞を受賞。2014年『破門』で第151回直木賞を受賞。著書多数。
はまだふみひと/1949年高知県生まれ。小説家。著書に『捌き屋 盟友』(幻冬舎文庫)、『桜狼 鹿取警部補』(ハルキ文庫)など。