――御徒町まで行って、すごく鍛えているのに!?
飯島 宮畑会長に、「どうして落ちたんですか?」って尋ねると、「飯島さんは筋肉が付きすぎているからだと思う」って言われて、「なんじゃそら」って(笑)。「健康美」を謳っているから、どうやらそこまで筋肉はいらなかったみたいで。だけど、自分から出たくて出たわけじゃなく、「ゆりえさん、出てみなよ」って担がれて舞台に上がったのに、いざ予選落ちとなると悔しくて。それで、来年からは女性にもボディビルと名の付く第1回大会が始まるから、それに出たらいいと言われて。83年に、「第1回ミス東京ボディビルコンテスト」という大会に出場したところ、本当に優勝しちゃって。
――優勝したことで、ますますハマっていくという感覚になったわけですか。
飯島 そう。その頃くらいから、どういうトレーニングをしたらいいんだろうと自分でも考えるようになった。例えば、食べ物に関してもたんぱく質を摂るために、鶏のささみを食べたり、野菜を摂るにしても体が冷えないように、蒸し野菜を積極的に食べたり。体を鍛えるだけではなく、食事制限にもこだわるようになっていきましたね。
――職場の人には、ボディビルをしているといったことは伝えていたのですか?
飯島 まったく伝えていない(笑)。服を着ていれば、そんなに分からないから、気が付かれることもなく。
――とは言え、84年にミス関東で優勝、85年にミス日本で2位になっているくらいですから、相当な筋肉美を誇っていたと思います。周りの視線もあったのではないですか?
飯島 そういう概念がないんですよ。「ボディビルをやっています」と伝えても、特に会話が続くでもなく。だから、好奇の視線がない……というか、女性がやるものだと思われていない。当時は、ボディビルをしているのは男性ばかりで、指導者も男性ばかり。裏を返すと、女性を教えられる指導者がいない。宮畑会長もポージングは見てくれるけど、女性のビルダーをどう教えていいかは手探り。それで、仕事を辞めて、ボディビルの本場であるアメリカ・ロサンゼルスに行くことを決めたんですよね。
ボディビルの本場、アメリカで感じたカルチャーショック
――仕事を辞めて!? 何年にアメリカに行かれたのですか?
飯島 85年かな。観光ビザだと半年で戻らないといけないから、学生ビザを取得して、単身渡米した。学生ビザならお金が続く限り、学校には行ける。ロサンゼルスにあるサンタモニカカレッジで英語を学びながら、ゴールドジムに通って。英語も少し喋れるようになりたかったから一石二鳥だなって。
