――興味がわいたとはいえ、80年代初頭に女性がボディビルを始めるのは、なかなかハードルが高いような気もします。

飯島 そういう先入観が何もなかったんですよ。今であれば、ボディビルのイメージって何となくわくだろうけど、何の知識もない。“キレイなプロポーションになれる”といった謳い文句に釣られて、「いいじゃん」みたいな(笑)。何も知らないからこそ、軽い気持ちで飛び込めたんでしょうね。

 それに、池袋のカルチャースクールは女性だけの講座でした。スクワットラックが1台、ベンチ台がたしか2台、それにバーベルと軽いダンベルがある程度。ガッツリ筋肉を身に付けましょうという感じではなく、「シェイプアップ」といった言葉が似合うような講座でした。ただ、タワシのようなひげを生やした男性講師――トレーニングジムの名門『トレーニングセンターサンプレイ』会長の宮畑豊さんの存在が大きかった。半年ほどして、「御徒町に僕がやっているジムがあるから、そっちで本格的にやってみないか?」と誘われて、仕事帰りに通うように。

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©山元茂樹/文藝春秋

本格的なトレーニングをスタートし、大会にも出ることに…

――のめり込めたのは、「面白い」と感じたからですか?

飯島 でしょうね。ボディビルダーになりたいという気持ちがあったわけではないんだけど、カルチャースクールは軽い器具しか置いてないんですよ。慣れてきたら、物足りなくて。もう少し重いものでトレーニングしてみたいと思っていたら、宮畑会長が、「御徒町にはいろんな器具があるよ」ってニンジンをぶら下げてきた。実際に通ってみると、たしかに面白かったんですよ。

――働いた後に御徒町のジムに毎日通ってたんですか……タフすぎます(笑)。

飯島 趣味ってそういうものでしょ?(笑) 自分が行きたいと思えば行けばいいし、都合が悪いなと思えば休めばいいし。そんなに難しいことじゃない。御徒町に通うようになると、宮畑会長がメニューを考えてくれるようになり、持ち上げられなかったものが持ち上げられるようになっていく。やっぱり好きだったんでしょうね。

――本格的になっていくにつれ、「大会に出てみようか」ってなったわけですか?

飯島 最初は、「今度、女の子の大会もあるんだよね」くらいの提案でした。当時はまだ、女性に関しては「ボディビル」というタイトルがついてないんですよ。「健康美コンテスト」みたいな大会で、そこそこ参加者はいたものの、シェイプアップができていたらいい程度。ですから、参加基準も難しくない。でも、その大会は予選落ちだったんですよ。