日本人女性初のプロフェッショナル・ボディビルダーにして、現在は画家として活躍する唯一無二のキャリアを持つ。

 飯島ゆりえさんが、プロボディビルダーを引退したのは1999年。その後、ゴールドジムのパーソナルトレーナーをはじめ、体づくりをサポートする仕事を続けてきたが、60歳を境に絵画の世界に飛び込んだ。昨年、開催した個展に飾られた絵は、すべて完売した。

 前例のないことをする、新しい道を歩む――怖くはないのだろうか? なぜ、一歩を踏み出し続けることができるのか。その心持ちを伺った。(全3回の3回目/最初から読む

ADVERTISEMENT

日本人女性初のプロフェッショナル・ボディビルダーであり、画家の飯島ゆりえさん ©山元茂樹/文藝春秋

◆◆◆

現役を引退してパーソナルトレーナーに

――1999年にプロボディビルダーから退きます。引退後、飯島さんは何をされていたのですか?

飯島ゆりえさん(以下、飯島) 引き続き、専門学校の先生をやりつつ、ゴールドジム公認のパーソナルトレーナーをしていました。パーソナルトレーナーが出始めた時代だから、それだって“最初”です(笑)。私に依頼してくる人は、お腹を引っ込めたい普通のおじさんだったり、スリムになりたい普通の女性ばかり。楽して結果がほしいというのは、昔も今も変わらないんですよ。

ボディビルダー時代の飯島さん(写真=本人提供)

――もともとグラフィックデザイナーだったわけですから、その分野に戻ろうとは思わなかったのですか?

飯島 思わなかった。そのときには、みんなパソコンで作業をする時代になっていた。私がグラフィックデザインをしていた時代は手作業だったから、今からパソコンを覚えて、グラフィックをやろうとは思えなくて。できないんだもん(笑)。

――お話を伺っていると、飯島さんは本当に潔いですよね。普通、何か新しいことを始めるとなったら不安もあるだろうし、過去にすがりたくなると思うんですよ。ところが、スッパリと次に向かう。

飯島 不安になったりするのは、自分以上のものを望むからじゃない? 例えば、私がアメリカから帰国して、再びグラフィックデザイナーとして就職するとき、私は池袋の小さな会社を選んだ。「青山にある会社がいい」「銀座がいい」なんて高望みをすると、相手の方が立場が強いから、自分の優位性がなくなる。自分以上のものを望もうとすると、主体的じゃなくなる。

――となると、自分が何をしたいかを考えることが大切ですね。