飯島 私は、「とにかくトレーニングをしたい」という自分ファーストの考え方を持っていたから、そんなに難しく考えなかった。プロを引退した後も、プロボディビルダーという看板があったので、それを生かせるだけ生かそうと思った。それがあるのに、今さらパソコンを覚えてグラフィックデザインをする気にはなれなかった。もう私の出る幕はないなって。

ボディビルダー時代の飯島さん(写真=本人提供)

 ただ、一時期は仕事をどう続けていこうか悩みましたよ。このまま歳を取ったら、今のようにお金は稼げないだろうし、老後にも備えなくちゃいけない。だから、プロのボディビルダーという後光が差しているうちに、働けるうちに働いた。パーソナルトレーナー、専門学校の先生、あとはスタジオのグループレッスンの先生もやりました。帰宅してテレビをつけると、NHKから「午前0時をお伝えします」って聞こえて、そんなに働いていたのかって(笑)。

――体を使う仕事ですから、いつまでも続けられない。自分の中で、タイムリミットみたいなものを感じつつですか?

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飯島 続けていく中で、体力的に厳しいなって思い始めるようになりましたよね。何か切らないといけないとなったときに、専門学校の先生を辞めることにしました。毎日通うから大変だったし、トレーナーになりたいと入ってくる子の中には、やる気がない子も少なくなくて。私もだんだん教える気持ちがなくなってきて、辞めることに。

60歳で“まさかのキャリアチェンジ”をした理由

――体を鍛えるキャリアから一転して、現在は画家として活躍されています。絵の世界にシフトしていくのは、何歳くらいのときですか?

ご自身の作品と写る飯島さん(写真=本人提供)

飯島 コロナでゴールドジムが閉鎖して、パーソナルトレーナーが一時続けられなくなったことをきっかけに、リタイアすることにしました。ボディメイクにしても、今は巷にあふれているじゃないですか。スポーツ選手やタレントさんが、こういう鍛え方をしていますとか、こういう食事法をしていますとか、いろいろある。今さら過去を背負って、「私が教えます」って言うのもどうだろうと思って。今の人たちがやればいいんじゃないって思うんですね。

 ただ、老後をどうするのかと考えたとき、何にも趣味がないのはつまらないなって思った。何か趣味になりそうなものがないかなって考えたら、「そうだ。私はもともとグラフィックデザイナーだった」って。基礎の勉強はしているわけだから、絵を描いてみたらどうだろうと考えた。最初は、好き勝手に描いていたんですけど、やっぱり行き詰っちゃって。でも、描いているときは楽しかったから、続けられると思って、絵画教室に習いに行くことにしたんですよね。武蔵野美術大学出身の先生が、「いいですね」ってほめてくれて。

個展会場での飯島さん。作品は画廊の人に驚かれるほど売れたという(写真=本人提供)

――再びカルチャースクールでほめられる……飯島さんのボディビルの原点を彷彿とさせます(笑)。何がきっかけになるか分かりませんね。

飯島 何年か経ってから、「飯島さんが最初に来たときはどうやってこの人に教えていいのか迷った」って、先生から言われたけどね(笑)。2~3年くらい通うと、「もう立派に描けています。ここまで描ければ、教えられます」と言われて、その言葉を鵜呑みにして教えてみようかなって。