「階級」ではなく「実力」がモノを言う社会が形成された

 浜野によれば、糧秣が増減していたのは米将校間の意見の対立が原因で、「本国から直接赴任して来た将校が、人道上の問題だとして増量を主張しているのに対し、日本軍の捕虜になっていた将校は、その必要なしと反対しているのだという、おそらくは事実であろう」と彼は捉えている。

 このように炊事をめぐる問題は日本人の間で不協和音を生み、ついには炊事員による将校殴打事件へと発展した。

 それは食券をごまかそうとした一将校が炊事員に袋叩きにされた挙句、空箱の上に立たされて晒し者にされ、また、本部員の飯上げに紛れて増食された別の将校が炊事員に詫びを入れに行ったところ殴られたというものだった。

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 炊事員は兵隊中隊から出ており、階級の低い兵隊が将校を殴るという終戦前では考えられなかったことが起きていたのである。

 それからというもの、「炊事員に生殺与奪の権を握られて、グウの音も出ない哀れな将校さんたちである。もっとも特権階級に成り上った炊事員たちの横暴ぶりもあまり感心出来ないが……」と、収容所内の力学は日本軍の階級章から実力による序列へと変化していった。

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