「それでも俺は、妻としたい」。妻を求める夫の根底にあるのは孤独感
夫婦の6割以上がセックスレスという世相を受けてか、セックスレスを題材とするドラマや映画も数多く制作されています。2025年1月からは『それでも俺は、妻としたい』(テレビ東京系)というドラマが地上波で放送されました。
風間俊介さん演じる売れない脚本家の夫が、MEGUMIさん演じる「鬼嫁」にあの手この手でアプローチするのですが、妻に頑なに拒絶されてもなお苦楽を共にする「夫婦のあり方」を描いた作品です。
事実、私のもとに寄せられる相談も「したい夫」と「したくない妻」という構図がとても多いように思えます。相談者である男性たちはよく「妻とレスだからといって、他の女性と浮気をしたり、風俗に行ったりしたいわけじゃないんです」と口にします。
彼らが妻とのセックスを求める心理の根底には、孤独感やスキンハンガー(肌のぬくもりへの飢餓感)ゆえの寂しさがあるように思えます。特に中高年以降、男性は退職などで社会とのつながりが減り、孤独を感じやすくなります。
彼らは人生の後半で生じた「心の隙間」を埋めるためにも、唯一の身近な存在ともいえる妻とのセックスを求めるのかもしれません。「それでも妻としたい」と語る夫たちが渇望しているのは、肉体的なつながりではなく、孤独感や寂しさを埋めてくれる「心のつながり」なのです。
夫からすると、家庭で妻との会話が減り、目を合わせることも少なくなるなかで、「せめて体だけでもつながりたい」という気持ちが生まれるのはたしかに自然なことです。
一方、妻側には夫への強い嫌悪感や苛立ちが存在している
しかし、パートナーからすると、日常的な会話や心の交流がないままに身体的な接触だけを求められることに「順序が違う」と感じることがある、それも現実です。
こういった場合、妻側の本音としては、単に「マンネリ」や「夫への性的欲求が湧かない」といった理由だけでなく、夫への強い嫌悪感や苛立ちが存在しているように思えてなりません。彼らにも新婚当初は、熱い夜があったことでしょう。
しかし子どもが生まれ、家事や育児のワンオペに明け暮れているのに、「子どもの教育は君に任せたよ」と夫は仕事を理由に家庭を顧みない。介護などで「嫁」としての役割を求められてきた人もいるでしょう。