「戦後80年」と言えることのありがたさを感じた

──「戦後80年」という節目の年に映画が公開されることをどう思いますか? 

菊池 公開年がただ「戦後80年」という節目なだけだと思っています。年月が経つにつれて事実への認識が変わっていくのは、仕方がないことだとは思いますが、このような作品を残すことができてよかったと思います。

 手記を基に制作されたこの作品が、この先もずっと観られ続けることを願っています。

ADVERTISEMENT

川床 戦後80年と、数字が大きくなればなるほど、当時を知っている人は少なくなります。だからこそ、こういった作品が作られることの意味がより大きくなっていくと思うので、今回役者として、この作品に携わることができたのはすごく、意義のあるものだったと思います。

川床明日香さん

小野 「戦後80年」と言えることがどれだけありがたいか、「戦争を知らない我々」と言えることへの感謝を強く感じました。

菊池 私は福岡出身なので、小学校の修学旅行で長崎に行って平和学習したり、鹿児島の特攻隊の勉強をしたりするなど、九州ならではの平和学習は多くしていたのですが、どうしても受け身、教えられる側という認識が離れていなくて……。自分事に感じていなかったことに気がつきました。本作に登場するスミたちのような少女の看護学生がいたということも知らなかったので、「戦争イコールむごい、辛い」だけで終わらせてはいけないのだと、強く感じました。

川床 私にとっても長崎はすごく身近な地域です。でも、私も原爆資料館へは行ったことがなかったので、この撮影期間が始まる前に長崎の原爆資料館へ行きました。長崎の街を「ミサヲはこのあたりで被爆してどれぐらい歩いたのだろう」と考えながら歩いたり、これだけの坂があるんだと知ったり、自分の足と肌で体感することを、今回初めてやりました。より自分の考えを深められたというか、より自分にできることはなんだろうということを考えられるようになりました。

小野 役者としてこの作品に参加させていただけたことは私にとって大きな学びとなりました。松本監督の演出方法も独特で、貴重な機会をいただき感謝しています。世界では今、戦争で苦しい思いをされている方が大勢いますが、できるなら自分は経験したくないと思いますし、戦争を経験する人を増やしてはならないとあらためて思いました。