ヒィロ 一番の原因は、結果が出なかったことです。メジャーデビューを果たしたのに、認めてもらえず契約を打ち切られた。その失敗を払拭するために努力をしたのに、またも見放され、昔は一緒にいるのが楽しかったのに、顔を合わせるのも苦痛になっていきました。今振り返ると、もっと歩み寄ればよかったのかもしれませんが、当時はもう限界でした。

解散の理由は…

――2つ目のレコード会社を去ったあとは、どうしたのですか?

ヒィロ 僕らを連れて渡り歩いてきたプロデューサーが、3つ目のレコード会社に引っ張ってくれたんです。でも、その頃にはメンバーの仲が破綻しかけており、一体何がバンドとして正しいのかわからない状態でした。僕自身、「売れる曲を書かないと」と追い詰められ、頭がおかしくなりそうでした。

ADVERTISEMENT

 すると、そのとき出したシングルが、オリコン週間チャートで5位に入ったんです。バンド史上最高の結果が出たのに、僕は「くだらない」と感じてしまいました。デビューした当初はメンバー全員でCD屋さんを駆け回って、少しでも上位に入れば喜んでいたのに。「僕にはもう、音楽を伝える資格がなくなった」と感じて、涙が止まりませんでした。

「もう止めよう」と決めてメンバーと話し合い、2014年にバンドは解散しました。事務所の人達は、メンバー全員が精神的に疲弊していたことを知っていたので、「社会復帰できるのか」と心配していたそうです。

ヒィロさんが所属していたヴィジュアル系バンド「ν[NEU]」(写真:本人提供)

――解散について、周りの方の反応はどうでしたか?