ピストルを突き付けられ、シゲコさんは連れ去られた
越来村生まれの政栄さんと、読谷村生まれのシゲコさんの結婚は38年8月で、18歳同士の若い夫婦は、12月にパラオ諸島のペリリュー島へ渡った。夫はペリリュー島の、日本軍飛行場建設の作業員になったのである。ペリリュー島で長男、パラオ島で次男が生まれた。
やがて太平洋戦争が始まり、政栄さんは現地召集で防衛隊に入るが、パラオ本島だったため、ペリリュー、アンガウル島の玉砕戦とは様相が異なり、空襲をうけた程度で無事だった。家族ぐるみ捕虜になって敗戦を迎え、46年2月に一家4人は沖縄へ引き揚げてきた。
シゲコさんと立話の奥間カマタさんは、子ども4人をかかえた戦争未亡人だった。カマタさんの夫は、奥間政栄さんの従兄にあたり、防衛隊にとられて東風平(こちんだ)村で戦死したのである。
大男の黒人兵がぬっと現われたとき、2人はほとんど、悲鳴もあげなかった。闇の向こうからきた兵隊は1人で、いきなりピストルをつきつけたのである。それでも、とっさにカマタさんが逃げたのは、身軽だったからだ。
赤ん坊に乳房をふくませていたシゲコさんは、立ちすくんだままだった。米兵はカマタさんを追わず、シゲコさんに赤ん坊を放すように命じ、しかたなく地面においた途端、小柄な彼女を小脇にかかえて松林の斜面を下って行った。おそらく、初めからシゲコさんをねらっていたのだろう。
仮小屋で寝ていた夫の政栄さんは、カマタさんに急を知らされて飛び起きた。しかし病身の彼にできるのは、物入れに使っているドラム罐を、大声出しながらたたくことだけだった。
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