他にも、「勤務簿の写し」、「時間外勤務記録簿の写し」、「公務分掌」、「学級担任一覧表」、「顧問をしていたサッカー部の活動計画(練習、試合、遠征等の日程が分かるもの)」、「生徒指導専任として担当した業務内容」、といった、合わせて21もの資料の提出が求められた。
遺族がイラストにして自死の状況を描けるだろうか?
さらに負担が大きかったのは、亡くなった際の状況をイラストにして提出しなければいけなかったことだという。祥子さんの場合は、義男さんが倒れた病院の待合室と倒れた場所をイラストにしなければならなかったが、これが例えば自宅で自死していたような場合、遺族がイラストにして自死の状況を描けるだろうか? その精神的負担は想像を絶する。祥子さんも「書類作成を元同僚の先生に手伝ってもらったので描けたが、手伝ってもらわなかったら無理だった」と話す。
ブラックボックス化する認定作業
資料を集めて、義男さんが亡くなった翌年の2008年10月にようやく申請に至ったが、「その後も大変だった」という。公務災害の申請後は、遺族に対するヒアリングも行われることはないため遺族が関与することは制度的にできず、「ブラックボックス化」している。労働災害の場合は、職場や家庭での実態を把握するため監督官が遺族や同僚などをヒアリングし、その内容も書面に残される。また遺族が追加資料などを提出することも可能だ。しかし、公務災害の場合、申請後は地方公務員災害補償基金と校長ないし教育委員会とのやり取りとなり、遺族が関与する余地はない。
地方公務員災害補償基金は認定の判断のために、教育委員会と校長に対して、例えば、精神的に負担がかかった生徒指導は何月何日に、どの生徒に行ったものなのかを特定しろという。これは実際に、義男さんの事例で求められたものだ。この事件では、校長から逐一、妻の祥子さんに連絡があり、いま地方公務員災害補償基金からこのような書類の提出が校長宛に求められており、このように提出したなど教えてもらえていたが、もし校長が書類を放置していたり、問い合わせを無視していれば、追加資料の提出がなされずに却下になったかもしれない。
さらに、労災の決定が降りるまでの判断が長期にわたるという問題もある。民間の労災の場合は原則として6ヶ月で判断を下すことになっており、公務災害の場合も、脳・心臓疾患による死亡の場合は、教育委員会での処理に2ヶ月、地方公務員災害補償基金での処理に4ヶ月の合計6ヶ月が「標準処理期間」と設定されている(精神疾患による死亡の場合は計8ヶ月)(地方公務員災害補償基金東京都支部「災害補償の手引」参照)。しかし、その期間内に判断がなされず不安なまま待ち続けることを強いられるケースが少なくない。工藤さんの場合は、2010年5月に判断がくだされたため、申請から結果が出るまでに約2年かかっている。結局のところ、いつ判断が下されるのかわからずに待たなければならないために、その間の生活は不安定となり、精神的負担も計り知れないものとなる。

