7月6日、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)の死刑が執行された。NHKスペシャル「未解決事件File.02 オウム真理教」取材班が入手した7教団の極秘テープには、麻原の素顔とオウム真理教の真実が残されていた――。後編は地下鉄サリン事件にいたる過程に迫る。※前編より続く
(初出:「文藝春秋」2012年8月号)
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ハルマゲドンの予言を実現
最後の逃亡犯として逮捕された高橋克也容疑者の上司だった井上嘉浩。麻原の側近の一人で「諜報省」と呼ばれた組織のトップとして地下鉄サリン事件などの犯罪に関わった。死刑が確定し、拘置所で外部との接触ができない状態に置かれている。その井上と家族を通じてやりとりが始まったのは昨年12月。
井上は裁判でも語ることがなかった数々の事実を、手記を通じて明らかにした。例えば、地下鉄サリン事件の前年、サリンを使った「計画」が首都を標的に進められていたという。
〈私の知る限り、松本サリン事件後の(94年)8月頃には早川(紀代秀、死刑確定)氏が極秘に担当してサリン散布の拠点として皇居をぐるりと囲むように10カ所、テナントやマンションを借りていました。千代田区では平河●-●-●等5カ所、中央区では銀座●-●-●等3カ所、港区では赤坂●-●-●等2カ所です〉
〈サリンの大量生成のための大量の薬品・生成の技術、確実に生成するための場所の確保(オウム真理教附属医院専用のビルの地下)、2万個の小型拡散機、そして都内の10カ所の散布用の拠点と大型ヘリがありました。目的は武力クーデターによる政権奪取です。10カ所の拠点から、皇居のまわりをぐるりと囲むエリア、つまり国家の中枢機関の破壊を狙っていたことは確かです〉(以下、〈 〉内は井上手記より=原文ママ)
松本サリン事件後、神奈川と長野、二つの県警がそれぞれ別の捜査からオウムとサリンの関係をつかんでいたことが、今回の取材で明らかになっている。しかし、当時サリンを取り締まる法律は日本にはなかった。旧上九一色村の地元・山梨県警単独の捜査では態勢が心もとないと警察庁上層部が考えていたこともあって、警察はオウムに踏み込むことに躊躇していた。
ところが95年2月、東京・警視庁の管轄下で、オウムによる公証役場事務長の監禁致死事件が起きる。ついに圧倒的な動員力を誇る警視庁を中心に関係府県警が一斉にオウムへの強制捜査を行うことが決まった。Xデーは3月22日。しかしその2日前、地下鉄サリン事件が起きる。
これまで麻原の裁判では、この強制捜査の情報を事前に知った麻原が3月18日未明、捜査攪乱のためにリムジン内で地下鉄にサリンをまくよう指示した、とされてきた。ところがリムジンに同乗していた井上は、車内では具体的な指示はなかった、と証言する。
〈リムジンでは何も決定されず、サリンを散布しても強制捜査は避けられないとの話しで終わったのです。このことはすでに法廷で証言しています。(略)リムジン後、麻原が自分のアイデンティティとしての、予言の自己成就のためと、全ての事件を弟子の責任に押しつける布石として、事件を決断したのです〉
〈午前4時頃、第二サティアンに到着し、麻原は「瞑想して考える」と言ってリムジンを降りました〉
〈本質的には強制捜査を妨げる、妨げられないとは関係なく、予言の成就のために麻原は事件を決断したのです〉
地下鉄サリン事件の目的はこれまで言われていた捜査の攪乱ではなく、自らが主張する「ハルマゲドン(世界最終戦争)」の予言を実現することに、麻原がこだわったためだという新たな証言だった。