戦前の海軍における“傑物”たちは、何を思い、どんな資質を持っていたのか。彼らから、現代のビジネスパーソンは何を学ぶことができるか。保阪正康氏・河野克俊氏・戸髙一成氏・新浪剛史氏・楠木建氏による「大座談会 昭和海軍に見る日本型エリート」を、ダイジェストで紹介します。[全5トピック]


陸海軍の人材選抜システムの違い

「卒業生の合計で見ると、陸軍士官学校が約4万2000人に対して、海軍兵学校は約1万1000人。海軍は陸軍の約3分の1以下で、所帯が小さいだけに人間関係も濃密だった」(戸髙一成)


日本海海戦で活躍した島村速雄

「軍人には珍しく自己顕示欲がなく、自分の功績を誇ることは絶対にしなかった。こうした振る舞いができる人材は組織に規律をもたらします。軍に限らず、どんな組織でも、いつの時代にも必要とされる人材」 (河野克俊)


主戦論に抗い続けた米内光政

「1940年の日独伊三国軍事同盟を巡って議論が紛糾した際にも、この3人は反対の論陣を張って一歩も譲らなかった。さらに米内と井上は戦争末期にも再びコンビを組んで、日本を終戦に導いている」 (楠木建)


山本五十六の才能と甘さ

「日本のように、限られた資源の中で戦わなければいけない国は、真珠湾攻撃こそが最大の勝機であり、徹底的に戦い抜くべきだったと思います。それを果たせなかった山本には甘さがあったと言わざるを得ません」(新浪剛史)


鈴木貫太郎と終戦時の責任

「土壇場の局面でも『一介の武臣です』と言って、政治に関与しない姿勢を貫こうとした。明治の『軍人勅諭』を旨として生きてきた矜持が感じられて、私は鈴木を尊敬に値する人物だと思っています」(保阪正康)


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