自分の首の骨が砕かれる音が…

 ジョージの弟子トニー・フィッツジョンのキャンプでヒョウに襲われたのは、ライオンの事故から10日後だった。そのヒョウはトニーが育てて野生に帰した雌で、キャンプ地に戻って子ライオンとじゃれていたところ、トニーに誘われるがまま現れた松島を見るや、いきなり襲いかかったのだ。彼女はその瞬間、自分の首の骨が砕かれる音を聞き、「自分は死んだ!」と思ったという(松島トモ子『母と娘の旅路』文藝春秋、1993年)。しかしこのときも、ナイロビの病院で治療を受けたものの、取材をやり終えたいと医師を説得して3日で退院する。

傷だらけの生還だった(松島トモ子オフィシャルブログ「ライオンの餌」より)

 こうして彼女は満身創痍の状態で、ほぼ気力だけですべての仕事をやり切ったのだった。その直後には『野生のエルザ』の版元の担当者がやって来て、今回の事故はなかったことにしてほしいと口止めされたが、彼女は英語で抗議し、一歩も引かなかったという。ジョージは松島の事故直後に出版した著書『追憶のエルザ』(邦訳は1988年、光文社刊)で、負傷してもなお取材を続行した彼女に感嘆を覚えたと明かすとともに、今回の事故で責めを負うべきはライオンやヒョウではなく、自分たちだとつづっている。

「あと1ミリずれていたら、全身麻痺になっていたか、死んでいたかですよ」

 帰国後、松島は改めて日本の病院で診てもらうと、医師から「噛まれたのがあと1ミリずれていたら、全身麻痺になっていたか、死んでいたかですよ」と告げられた。このとき、二度とステージには上がれないとまで宣告されたが、懸命のリハビリにより3年後の1989年には舞台俳優として復帰した。折しもこの年、ジョージ・アダムソンが現地の強盗団に殺害された。松島はのちに自伝で、彼の死について《人間の攻撃は動物より容赦ない》と嘆いた(前掲、『母と娘の旅路』)。

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ジョージ・アダムソンと(松島トモ子オフィシャルブログ「ライオンの餌」より)

 後年、古くからの友人であるタレントの永六輔のコンサートにゲスト出演した際には、永から「きょうのスペシャルゲストは“ライオンの餌”!」と紹介された。無関係の人間から言われたら単なる悪口でしかないが、長年信頼関係を築いてきた相手だけに彼女も受け入れられたのだろう。2020年に始めたブログのタイトルもずばり「ライオンの餌」とつけた。

松島トモ子オフィシャルブログ「ライオンの餌」より

永六輔から「ただのスター後遺症だ」と怒られ…

 永からはかつて、やはり若くしてスターになった坂本九とそろって「君たちはスターでも何でもない。ただのスター後遺症だ」と怒られたことがあったという(『Hanada』2016年9月号)。自分一人では電車にも乗れず、買い物もできない彼女を見かねてのことだった。