「持ち家を離れて、マンションに移り住む、そのもの悲しさを…」
4日間にわたった引っ越し作業では、リーダー格の年配の女性が若いスタッフたちにてきぱきと指示を出す様子に感心する。最終日、その女性から「マンション暮らしはようございますよ、鍵一つで出入りできますし。緑豊かでいいところをお選びになりましたね」と言われた。松島はあとになってその言葉を噛みしめて号泣したという。
《私、あんまり泣かないのですけど、自分の慣れ親しんできた持ち家を離れて、マンションに移り住む、そのもの悲しさ、寂寥感、言葉にできない思いみたいなものを、その方はきちんとすくい上げてくださった。その心遣いが本当にうれしくて》(『婦人公論』2023年12月号)
引っ越しをしたのは2022年の春だった。同時期に松島は、それまで5年あまり自身を悩ませ、歩くのに支障が出るほどになっていた変形性股関節症の手術を受けた。そのあとで医師からふと「あなたの股関節の変形は、5~6年のものではないですよ。先天性ではないけど、赤ん坊のとき、劣悪な環境で育ってないですか?」と訊かれたという。たしかに、第二次大戦末期に旧満州で生まれた直後には、ソ連軍の侵攻にともない母とともに陽を浴びることのできない避難生活を強いられ、栄養失調状態で引き揚げてきた。
医師からは、そのときの母親の抱き方にも問題があったのではないかと指摘される。母はおんぶをすると死んでいてもわからないからと、赤ん坊の松島を手製の腹袋に入れて、やっとの思いで引き揚げ船に乗ったという。そんな戦争の影響が70代後半にもなって体に出たらしい(『Hanada』2022年6月号/『週刊文春』2013年2月28日号)。
「体に叩き込まなきゃ」「頭で覚え、体で覚えろ!」
戦争にかぎらず、松島の体にはそれまで経験してきたことすべてが刻まれているようだ。今年5月にコンサートを開催するにあたってのブログの更新でも、いまの若い人たちが振付をスマホで撮って覚えることに違和感を呈し、《古い私は思います。/体に叩き込まなきゃ。/頭で覚え、体で覚えろ!/若い人は私に「スマホで撮りましょうか?」と親切だ。/でもまだ私は抵抗している。が、時間の問題でしょう》とつづっている(松島トモ子オフィシャルブログ「ライオンの餌」2025年5月20日更新)。
スマホ撮影に抗えるかどうかはともかく、この意気があれば、まだまだ十分現役を続けられそうだ。松島が75年以上にわたる芸能生活で体得したものから、若い世代が学ぶこともきっと多いはずである。

