母が認知症になり、仕事を全部やめようと思ったが…

 10年ほど前、95歳になっていた母がレビー小体型認知症と診断され、本人が施設に入るのを拒むため在宅介護を選んだときには、松島は仕事をいったん全部やめようと考えたという。だが、相談に乗ってくれていたケアマネージャーから「絶対に仕事をやめてはだめ」と助言される。「介護は何年続くかわからない戦いです。介護が終わっていざ復帰しようとしても、70歳を過ぎたあなたに誰が仕事を頼んでくれますか」というのだ(『婦人公論』2019年4月23日号/「介護ポストセブン」2025年4月7日配信)。この言葉のおかげでいまも仕事が続けられていると、彼女は感謝している。

松島トモ子『老老介護の幸せ』(飛鳥新社)

“終の棲家”にマンションを選んだ

 最近の松島のインタビューなどでの言葉からは、周囲の人たちに助けられてここまで来たという思いが端々からうかがえる。

 2021年に母が約5年の介護生活の末、100歳8ヵ月で亡くなると、それまで毎日家に来てくれていた看護師やヘルパーなどがパタリと来なくなった。稽古場も備えた大きな家は一人暮らしには身に余り、否応なしに不安と寂しさを覚える。たまらずかかりつけの心療内科の医師に自らの心の内を話すと、「あの家にずっといるのもいいけれど、ちょっとでも動くつもりがあるなら、70代のうちに引っ越しなさい。80になると判断力が鈍ります」と言われた。

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 そうこうしているあいだに彼女が一人になったと知って、家や土地やお金に関する話が続々と持ち込まれ、疑心暗鬼から気が滅入ってしまう。再び心療内科医に相談すると、今度は勉強を勧められる。こうして、あれこれ本を買い込んで勉強を始め、大量の情報を集めた結果、自分の信用できる税理士、不動産鑑定士、不動産屋、フィナンシャル・プランナーを選んでチームを結成した。その人たちのアドバイスを受けながら、家と土地を売り、終の棲家となる新居としてマンションを選び、引っ越しまでこぎ着けたのである。