俳優・歌手・タレントの松島トモ子が今月10日、80歳となった。旧満州の奉天に生まれ、4歳デビューするとたちまちスター子役となり、雑誌モデルや歌手としても活躍した。いっぽうで、20歳頃には「子役時代のイメージを求められる」との葛藤を覚え、一人家にこもる日々が続いたこともあったという。同じ頃には、新居が火事で焼けてしまうという困難にも見舞われたが……。(全2回の2回目/はじめから読む

1965年、約2年半のアメリカ留学から帰国した頃の松島トモ子(当時20歳) ©時事通信社

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ライオンとヒョウに襲われる

 松島トモ子は20歳での挫折を乗り越えたのち、司会や、英語力を活かしての海外レポートの仕事に活路を見出した。彼女といえばいまだにとりあげられることの多い、ライオンとヒョウにあいついで襲われるという災難に見舞われたのも、1986年にテレビ番組のレポーターとしてアフリカのケニアを訪れたときだった。このときの取材相手はライオンの保護活動を行っていたジョージ・アダムソンである。ジョージは1980年に亡くなった妻のジョイの著書『野生のエルザ』およびその映画化を通じて、夫妻で孤児のライオンを育てて野生に帰したことで知られる。

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映画『野生のエルザ』(1966年公開)

 テレビの撮影隊は3ヵ月前より現地に入っていたが、ジョージがなかなか口をきいてくれないと報告していた。そのため松島から彼に手紙を書き、インタビューに答えてくれるよう懇願したのだった。いざ訪ねるとジョージは歓迎してくれ、彼の案内で初日より普段ならすぐには見られないという野生ライオンの群れにも遭遇し、取材は順調に進んだ。

ケニアのナイロビで手術し、3日で退院

 だが、その日の夕方、子ライオンをしゃがんで見ていた松島は、大人の雌ライオンに襲われ、負傷してしまった。翌日、ケニアの首都ナイロビの病院で手術を受け、医師からは10日間の入院が必要と診断されたが、彼女は出血はたしかにひどかったけれども命にかかわるものではないと判断し、3日間に短縮してもらった。滞在日数が限られているため、1日も早く仕事をしたかったという。