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「麻原彰晃の娘」が書いたノンフィクション

 反対に事件後、オウム施設から外の社会に出た者によるものが、松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店・2010)だ。富士宮の教団施設内で生まれた、麻原の四女によるものである。「獣医にとり上げられた赤ん坊」「家の中にいた殺人者」「妻妾同居」「『おまえ、オウムだろう』」「就学拒否」。見出し小見出しの抜粋であるが、字面だけで圧倒されるものがある。

 社会にどうにか居場所を見つけ、平穏を得ようとしても得られず、得たところで「麻原彰晃の娘」であることで壊れてしまう。「宿命」や「業」といったものを文学的なものとしてではなく、実社会に生きる個人のものとしてみせるノンフィクションである。

©getty

兄が語る「水俣病と松本智津夫」

 同じように、当人が罪を犯したわけではないが「逃亡者」となった麻原の兄。写真家の藤原新也が彼を探し出して訪ね。それを書いたものが、『黄泉の犬』(文藝春秋・2006)に収められた「メビウスの海」である。麻原の出生地に広がる不知火海をみた藤原が、全盲の実兄を訪ね、こう問いかける。「弟の智津夫さんの目の疾病は水俣の水銀のせいじゃないのかって。そんな風に想像してしまったんです」。すると沈黙の後、「よう、そこにお気づきになったなぁ」と小さな声で答え、「ワシは智津夫ば水俣病患者として役所に申請ば出したとじゃ」と藤原に打ち明けるのであった。

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 ところで事件直後、論壇誌(というジャンルがかつて、あった)ではオウム事件をどう書いたのか。『「オウム事件」をどう読むか』(文藝春秋・1995)は、「諸君!」を中心に、山折哲雄や野田正彰、かの内藤国夫らの論考をまとめている。

死刑執行を伝える新聞各紙

「落ちこぼれの馬鹿が誇大妄想にかられて暴走したら、ろくなことにならない」。オウム事件と比べられがちな連合赤軍事件をこう評し、オウム真理教事件についても「同じ程度にくだらないと思う」と冷笑するのは浅田彰だ。

 対照的なのが政治史学者の野田宣雄である。終末の到来を予言し、それに基づいてすべての人間を善悪に二分化する思想はいつの時代でも若者を衝き動かし、マルクス主義とオウムはその点で重なりあうという。そして日本ではいくら過激なセクトやカルトが出現したといっても、そうした異端に対置するはずの正統としての宗教を持たずにいて、オウム事件は宗教の復讐であると論じている。