厳しい母に比べ、父は優しかった。琵琶湖へのドライブなど休みのたびに遊んでくれ、のぞみには母や勉強のことを忘れられる唯一ほっとできる時間だった。が、小学6年のとき、父と母の間に亀裂が生じる。

写真はイメージ ©getty

 のぞみが問題集をこなしていなかったことに端を発し、母が「こんな調子だと、お父さんみたいに名前を書けば入学できるような大学にしか行けないわよ」と発言。日頃から自分のことを蔑むしのぶさんに父はとことん嫌気がさし、仕事の都合という名目で、1人社員寮で生活するように。以降、のぞみが父に会うのは月に一度生活費を渡しに来るときだけとなった。

「たかが高校教師のくせに偉そうに」

 母と2人だけの暮らしは、のぞみにとって地獄だった。小学校までは成績が良かったものの私立の進学校に上がると伸び悩み、母は毎日のように叱責。それが怖く、のぞみは中学2年のとき成績表を改ざんする。それに気づいたしのぶさんが激怒し、娘の足に熱湯をかける。

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 こうした虐待にくわえ、自分の能力に限界を感じていたのぞみは高校3年になると医師になる気力を失う。しかし、母は決して許さなかった。受験前年の2004年秋、学校で三者面談が行われた際、担任教師が「今の成績では第一志望の滋賀医科大学医学部医学科に合格する見込みはない。看護学科であればA判定なので看護師の道を考えても良いのではないか」と助言したことに対して、しのぶさんは帰りの車で「のぞみが看護師なんてありえない。たかが高校教師のくせに偉そうに」と口汚く罵った。

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