「もし、あんたが看護師になるなら、病院に行って荒らしてやる。病院にいられなくなるようにしてやる」

 2018年1月20日、教育虐待を続ける母親を殺害した当時31歳の女性。鉄パイプによる殴打、厳しすぎる監視など、彼女が殺害に至るまでに経験した“壮絶な虐待”とは? 我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全4回の3回目/続きを読む)

写真はイメージ ©getty

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「囚人のような暮らしだった」

 のぞみは何も言い返せないまま翌年のセンター試験を受験。結果はさんざんで、このまま同大学医学科に出願しても足切りされるのは明らかだった。激怒した母は娘の携帯電話を没収し、鉄パイプで殴打したうえで、今回は京都大学医学部保健学科(当時)を受験し、翌年また滋賀医科大学医学部を目指すよう強要。果たして、京都大学も不合格となるも、しのぶさんは親族らへの面子で合格したと嘘をつき、娘にもそれを強いた。ちなみに、のぞみは高校時代、自分を束縛する母から逃げるため教師の家などへ3度家出しているが、全て連れ戻され激しい虐待を受け、後に「囚人のような暮らしだった」と振り返っている。

 浪人して医学科を再受験するという母の意向とは別に、のぞみは看護学科への進学を希望し、独断で就職試験を受け、会社勤めをしながら受験費用を稼ごうと考える。が、未成年であったことから会社側は保護者の同意を得るため、母しのぶさんに連絡。初めてこの事実を知った彼女はその場で採用を断り、のぞみに浪人生活を送らせる。

 以降、母は自室ではなく、監視がきくリビングで勉強するよう命令。風呂も一緒に入ることを無理やり納得させた。就寝以外、1人きりの時間を与えないためだ。のぞみは自分の学力で医学科合格は不可能とよくわかっていた。

 が、母の強い希望で滋賀医科大学医学部医学科を毎年受験し、そのたびに不合格となる。それでもあきらめない母にのぞみは精神的に追いつめられ、20代前半までに何度も自ら命を絶とうと考える。が、自殺を実行する勇気はなく、彼女が取った行動はまたも家出。派遣会社に登録し自立を目指した。しかし、そこに母が雇った探偵が現れ家に連れ戻された。

 結局、浪人生活は9年間に及ぶ。その間、成績は上がらず医学科の受験も全て失敗。しのぶさんは「あんたなんか産まなきゃ良かった」とまで口にし、機嫌が悪いときは殴る蹴るの暴行を繰り返した。